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もう、新聞配達と深夜の仕分けの仕事はやりたくない

題目のとおりだ。

まず、新聞配達の方だ。

中学2年から20代なかばぐらいまで、ずっとやり続けていた。
さすがにもう、飽きた。

仕事自体は人間関係で悩む必要もないし、楽だったが、夏は暑い中、冬は寒い中凍えながら、新聞配達をするのはもう嫌になった。

まず、朝刊は早起きしなければならないのがもうダメだ。

早起きと言っても朝5時とか朝6時ならわかる、
深夜2時半とかに起きて、準備しなければならないのだ。

幸い、俺の時代は、朝5時までに出勤すれば良いというヌルい時代だったので、4時おきで良かったが、
今は新聞が到着する深夜3時前には出勤して待機してなければならないようだ。

14の頃に夕刊配達からはじめ、その後日曜代配員になり、高校時代3年間にはまた夕刊配達、
大学卒業してからはしばらく朝刊と夕刊両方やり、8ヶ月で夕刊の方をやめて、朝刊だけになる。

朝刊と夕刊両方をやっていた時は本当にしんどかった。

朝5時頃配達やって、6時前に終わって家に帰る、その12時間後、また夕刊配達がやってくる
この間、眠くなって寝たりなんだりやっていたら、12時間なんてあっという間に過ぎる。

で、15時ころ、また夕刊配達。
終わって、家に帰ると17時ぐらい。
また12時間後に朝刊配達が待っている。

夕刊のない日曜祝日は天国だった。
逆を言うと、日曜祝日にならないとゆっくりできないという現実。

毎日忙しないスケジュールの割に、実働時間は3時間にもならない。
給料も、拘束されている割には安い。

そんなシフトだから、平日はどっかでかけたりとかっていうのができない。遊ぶのなんてもっての外だ。
もうひたすら、新聞会社の奴隷になっていたようなものだ。

これは、しんどかった。
だから8ヶ月しか続かなかった。

8ヶ月続いたことが逆に凄いと俺は思うが。
よくやった、と今の俺なら褒めてやりたい。

やめた理由はたしかこうだった。

「このままじゃだめだ」と思った。

2005年、23,24の頃だった。

月収10万にも満たない状態で、毎日ガチガチに拘束されていて、日々ずっと流されていた。
そんな状態に、当時から「ヤヴァイ!!」と感じ取っていたのだ。

気がつけば8ヶ月経っていたという感覚だったと思う。

給料だってきつい割に、高いわけでもなく、俺はただただ理不尽さを覚えていた。

もう新聞なんて見たくもない。


次は、深夜の仕分けの仕事だ。

これは、大学2年生の秋、ヤマト運輸の仕分け作業を初めて始めた。
最初はハマった。
まさにゲーム感覚で、ベルトコンベアーから流れてくる荷物を所定の位置に仕分ける仕事で楽しかった。
一緒に働いてた、周りのおっちゃんたちも面白い人が多くて楽しかった。
俺は21時から0時までの時間、働いていた。

ところが...。

約7ヶ月過ぎた頃、支社の統合が行われて、仕事量が激増した。
ベルトコンベアーの流れる速度が早くなった。取り扱う荷物や仕事が増えまくった。

そして、まったりと働けていた空気がなくなり、途端に忙しくなった。

そうしたら、それまでハマっていた反動で飽きが来た、仕事がつまらなくなっていった。
俺はちょうど7ヶ月働いた頃、その職場を去った。

...が、カネに困った時に、ちょくちょく短期バイトで入っていた。
その時は、なんてつまらない仕事だ。と思いながら働いていた。

あの、最初に働いた時に感じた、体を動かす仕事の達成感とか充実感とか、どうして消えていってしまったのだろうと今では思っている。

深夜の仕分けのバイトに心底嫌気が差すまでになったのは、その後郵便局の郵便物の仕分けのバイトをやったことからだ。

まさかヤマト運輸と同じ仕事が待っているとは思いもしなかったからだ。

ただ、荷物が郵便物に変わっただけ。

毎日、見るのもいやなるほどの大量の郵便物がやってきて、俺を苦しめる。
一つ一つは軽いが、それの塊となると、腰を痛くするほどの重量になる。

やっていることは、ヤマト運輸のそれと何ら変わっていなかった。

そして仕事時間は、21時15分から次の日の朝6時きっかりまでの貫徹だ。

今でも、この仕事を一ヶ月ちょっとやりきったことに、俺は驚いている。

もうこの2つの仕事は、二度とやりたくない。
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