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1996年は特別な年だった

ヒット曲のメドレーをリンクしているが、当時の俺は音楽を全く聞かない人だったので、思い入れはさほど無い。

1996年は、俺にとっては特別な年だった。

以前、1994年は特別な年だったという記事を書いたが、俺にとって2番目に特別な年だったと言えるかもしれない。

この年、俺に何があったかと言うと、やはり高校受験だろう。
それに、中学3年になり、札幌~函館へ修学旅行へも行った。

全てが、懐かしい時代だ。

1995年9月から俺は新聞配達を始めた。
1996年は当然、俺は新聞配達(夕刊)を続けていた。

学業とバイトの両立は大変であった。

1995年、中学2年から、真面目に勉強を始めて成績が急上昇したが、96年にはいった頃
その成績の急上昇も頭打ちになってきていた。

新聞配達のバイトをしていたのも大きい。
自由時間が大幅に減って、遊ぶ時間が全然なくなってしまったのだ。

毎日毎日、学校が終わったら、急いで帰って、新聞配達。

96年の冬は特に厳しく、毎日毎日大雪が降り、新聞配達の邪魔をする。
冬でも自転車に乗り、月曜から土曜まで寒い中、毎日新聞配達をしていた。

このとき、俺は片耳が凍傷になってヤバイ状態になったこともある。
いくら寒くても、耳あてなどつけたことがなく、ノーガードで外に出て働いていたのだ。
今思うと、無謀なことをしていたと本当に思っている。

そんな、新聞配達をしながら、学校。
ヘビーローテーションをひたすら繰り返していた。

そしてやってきた中学3年の春。

いよいよ受験生となった。

俺は焦っていた。
成績が伸びなくなったことに。

だがその前に、やってきたのは5月の修学旅行だ。

あまり覚えていないが、楽しんでいたのは覚えている。
もっとも、俺はこの頃、真面目クンになっていたので、特に派手なこともせず、言われたとおりに観光を楽しんだだけだった、
思い返せば、夜中に出歩いたり、そんなやんちゃをやっておけばよかったと今になって思うが。

函館で観光したことは覚えているのだが、それ以外がさっぱり覚えていない。
確か札幌にも行って、なにかしたとはおもうのだが、全然記憶がない。

俺は札幌に行くのなら「どさんこワイド212」の街角中継に映りたいと思っていた。
その願いは全く叶わなかったが。

後、ちょうどSFCの「ファイアーエムブレム 聖戦の系譜」の発売日と重なっていたので、
小遣いを使って旅行中に買って、遊んでいるクラスの人がいたのは覚えてる。
俺はそんなふうに、スーファミを持ち込んだり、小遣いで勝手にゲームソフトを買うなんて
悪いことは出来なかったので、その人達が羨ましく思ったものだ。

6月。
この年の6月23日(日)には、ニンテンドウ64が出た。

俺はこれを買うために新聞配達の給料を貯めていた。

25000円にソフト1本9800円を入れて約34000円だ。

当時はローソンで予約を受け付けており、俺はローソンで予約した。
なぜなら、発売日当日の午前0時からいち早く手に入れて遊ぶことができるからだ。

俺はこの日のことを未だに鮮明に覚えている。

歩いて5分位のローソンだが、わざわざ親父の車で行って、ニンテンドウ64とスーパーマリオ64を買う。
家に帰ってすぐにテレビに繋ぎ、その映像の鮮明さに当時は驚いたものだった。

最初は3Dスティックで上手に操作できなくて、マリオを真っ直ぐに動かすことすらおぼつかなかった。

次の日も、マリオ64を夢中になって遊んだ。
しかし、
運の悪いことに試験期間と重なっていたので、十分遊ぶことは出来なかった。
試験勉強をしなければならないからだ。

それでも我慢できなくて、勉強を放り出して、ニンテンドウ64を遊んでいたのを覚えている。

当時、ソニーのプレイステーションやセガのセガサターンに任天堂は押されていて、次世代機のニンテンドウ64も発売が遅れており、任天堂の動向がどうしても気になっていた。

ニンテンドウ64の専門誌も買い、俺はニンテンドウ64を応援していたと言うか楽しみにしていた。

だから、期待通りの面白さだったスーパーマリオ64には感動さえ覚えたものだった。

その後、俺は、スーパーマリオ64を2ヶ月かけてじっくりとプレイして、自力でスター120枚とって完全クリアをしたのだが、そこまでプレイを達成したとき、本当にニンテンドウ64を発売日に買ってよかったと心から思ったものだ。

今回はゲームの話がメインではないからこの辺にしておこう。

7月に入る

俺は相変わらず焦っていた。
成績が全く伸びなくなってしまったことに。

大体5教科400点くらいは取れるようにはなった。
これがかつて中学1年のときは250点だったのだから、1年でこれだけ取れるようになるというのは、
上出来と言えるのかもしれない。

しかし、成績が上がらなくなったことに、俺は危機感を覚えていた。
それどころか、5教科400点以上をキープすることが何より当時の重みになっていた。

周りの友達とかも、それぐらいの成績か、それ以上の成績の人がいたが、
俺は必死に必死に勉強しまくってやっと到達していた5教科400点以上を、遊びながら軽々しく到達しているのである。

俺とは次元が違う。

そう、感じていた。

俺は、友達に塾の夏期講習会に来ないかと誘われていた。

これ以上成績を伸ばすには、もう塾しか無い。
そう思った俺は、夏期講習会に出て、さらには、塾に入ることにした。

中学3年の夏休み。
遊び呆けてはいられなかった。
塾の夏期講習会に出ることになったからだ。

俺は塾でも一生懸命に勉強した。

そこで痛感したのは、やはり塾の授業は、学校でやられているものとはレベルが違うというものだった。

相手は点数をとらせるプロだ。
失礼な話だが、学校でのほほんと勉強を教えている学校の先生とは違って、効率的だったし、とても良くわかる授業を心得ていた。

俺は、ますます成績が上がるのを感じていた。
(結果として、あんまり成績は上がらなかったのだが。だが、合格率2%の志望校に合格したのだから、結果的に良かったのだろうと思う)

塾が始まってからというもの、学校で行われる定期テストの勉強が重みではなくなった。
塾のカリキュラムに沿って勉強すれば、点数を取ることなんて簡単になっていたからだった。

もう、テスト前にほぼ一夜漬け状態で教科書を丸暗記する必要はない。
塾で言われる、テストに出やすい部分を集中的にやれば、テストの点数なんて余裕で取れる代物になっていた。

夏期講習が終わり2学期が始まって、しばらくすると、新聞配達と塾の時間が被るようになってしまい、
新聞配達(夕刊)は続けられなくなった。

俺は新聞配達(夕刊)をやめざるを得なくなった。

9月いっぱいで新聞配達をやめることになった。

正式に言えば、日曜代配という形で、日曜日の朝刊だけ配達するというポジションで働くことになり、新聞配達自体は続けることになったのだが。代わりに給料はかなり下がった。
これに関しては仕方ないと言わざるを得ないだろう。

新聞配達(夕刊)をやめてみて。
時間がたっぷり取れるようになり、俺はゆとりのある生活を取り戻した。

勉強ばかりしていたが、テレビ東京系の夜18時からのアニメを見たり、本屋に行って立ち読みしてみたり、給料が減って買うのが厳しくなったが、ゲームも買ったりしていた。

そんな、普通の中学生の生活、と言っていいだろう。

もう少し塾の話をしよう。

塾の席順は成績の順になっていた。
二部屋あって、成績の良い人向けの上位クラスと下位クラスにわかれていた。

俺は最初、下位クラスのほぼ上位の位置だった。
それが、卒業する頃には、上位クラスに上がることが出来た。

この、席順の決め方には、今となっては差別を助長してるとか色々あるのかもしれないが、
俺にとっては高いモチベーションになっていた。

何より、下位クラスと上位クラスの境目にいて、最終的には上位クラスに上がっていったのだから、
その頑張りが認められたと言った感じで、当時の俺はすごく嬉しかったものだ。

(※よく覚えていないのだが、最初から成績順の席順ではなかった気がする。
中学3年の2学期以降という特別な時期だけ、成績順の席順を採用していたような気がする)

この年、俺は友達関係にも恵まれていたし、勉強は辛かったが、それを除けば、凄い楽しい時期だった。

新聞配達もやめたので、放課後には友達の家でよく遊んだりした。

ゲームの方だって充実していた。

ウエーブレース64とサクラ大戦が同じ日に発売されて、俺はどっちを買おうか激しく悩んだことがあった。

1996年9月27日(金)のことである。

確か物流の関係で、ウエーブレース64は入荷が遅れていたような気がする。

両方欲しかった。
しかし、どちらか一方しか買う金はなかった。

悩みに悩んで一時間
俺はサターンのサクラ大戦を買った。

そして、当時のオタク友達と一緒にサクラ大戦にはまり込んだ。

サクラ大戦のラジオもやっていて、毎週それを聞いていた。いわゆるアニラジというやつである。
(どんな内容だったか、思い出せず、ウィキペディアに載ってないか頼ったが、記述が一切ない。確か声優の横山智佐が出てたような記憶があるが、ラジオ内容は全く思い出せない)

アークザラッド2も買った。塾の帰りに、迎えに来た親に頼んでゲームショップによってもらった。
96年11月1日のことだった。
大作RPGにもかかわらず、値引きされて5000円で買えた気がする。すごく安かったのだけは覚えているのだ。

ゲーム自体は長すぎて最後まで出来なかった。当時、受験でゲームに集中できなかったというのもある。
今思うと、そんなに勉強しないでも良かったんじゃないかと思っているが。

自分がクリアする前に友達に貸したりしていた。

忘れもしない96年12月6日
スーファミ版ドラゴンクエスト3の発売日である。

俺はこれを買って直後に、すぐ風邪を引き、学校も塾も休んだ。

そして、家で寝ていたのだが、そればっかりでもつまらない。
暇だったので、ドラクエ3をやった。すっかりハマった。

ファミコン版は遊ぶことが出来なかったので、このスーファミ版が初プレイだ。
俺はのめり込んだ。ドラクエ3がこんなに面白いものだとは思わなかった。
咳き込みながら、風邪ひきがその特権を使って、学校、塾を休んで最速プレイをした。

懐かしいものだ。

1996年は特別な年だった。色々なことがあり、過ぎ去るのもあっという間だった。

こうやって長文を読んでくださって、その方たちの感想としては「よくある中学3年生のよくある風景」と取られるかと思われる。
そういった、普通の中学生活を営めるだけでも幸せとはよく言ったものだと思う。

1994年も特別な年だった。しかし、とある人物からの嫌がらせによって登校拒否にまで追い込まれ、まさに陰と陽で例えるなら、1994年は陰、1996年は陽といったところだ。

まさに幸せの絶頂期といってもいい、人生を俺は送っていた。

ここには96年以外の出来事は書かないようにしたかったが、ついでなので、俺の進学先の高校についてと、俺の感じる高校受験の矛盾点を書いて終わろうと思う。

俺はとある進学校に進学した。

いきなり難しい話になって恐縮だが、進学校Aと進学校Bがあるとする。

俺は成績の関係から進学校Bには入れず、ランクがひとつ下の進学校Aを目指した。

俺の学校では進学校Bが家から近くて人気で、志望する人も多かった。

しかし俺は、内申点が足りなくて進学校Bには志望することすら出来なかった。

さて、今はどうだか知らないが、高校受験では普段の成績から算出される内申点(正式には学習点)と、実際の試験で算出される学力点の2つの視点から合格と不合格を判断するようになっている。
よく言われる、ボーダーラインとか言うあのグラフだ。

俺は中学1年のときは成績が悪かったのと、体育が苦手でいつも5段階評価で1を付けられていたせいで、内申点が他の人より低かった。

そのため、いくら学力点が高かろうと、進学先が限られる状態だったのだ。

さっき5教科400点以上取れるぐらいの成績になったと書いた。
実際の受験でも、俺の学力点は5教科300点中、190点は取れるぐらいの成績になっていた。
ただ、苦手教科の理科と英語のせいで、安定した点数は取れなかった。

内申点さえ足りていれば、俺は進学校Bを志望することが出来たし、合格も可能だったのだ。

いくら勉強しても、内申点が足りないせいで俺は、家から遠い進学校Aを選択せざるを得ず、それが俺には歯がゆかった。

なぜなら、親しい友達の多数が進学校Bを目指しており、実際入学していった。
また、地元でも高い学力を持った生徒がいるとされており、評判が高く、それのせいで、俺もなんとかして進学校Bに入りたかった。

だが、現実は厳しかった。

俺は内申点のせいで、進学校Aですら、いくら頑張っても模試の合格率が2%という有様なのである。

当然塾からは、進学校のランクを一つ下げろと言われていた。
入る学校のランクを下げるのは簡単だ。

だが、ランクを下げたら、俺は勉強を頑張る意味がなくなるように当時は感じていたのだ。

ランクを下げれば合格率は上がって合格は簡単になるだろう。
だが、そうしたら、塾にまで入って必死に頑張っていた意味がなくなる。

それに、ランクを下げた先の進学校は、言い方は悪いがかなりレベルが低い高校と言ってもいいところになってくる。

進学校Aですら、あまりレベルの高くない高校と思われているのに、これ以上、ランクを落とすのはいかがなものかと俺は意地を張っていたのだ。

はっきり書こう。
俺が矛盾を感じていたのは、学力点だけみれば、進学校Bに全然入れるレベルだったからだ。

点数だけなら、クラスメイトの友達と肩を並べていたが、普段の行い...内申点が悪いばかりに、俺は進学校Bへの道が閉ざされてしまった。

自業自得だと思う人もいるだろう。

たしかにそのとおりだ。

しかし、俺が学校で言われたとおりに勉強を頑張る意味をなくしてしまったのは、この矛盾にぶつかってしまったからだ。

中学1年のときの失敗は、いくら頑張っても挽回できないし、自分が運動音痴で体育が全然出来ないばかりに、内申点を悪くされる。

他でいくら頑張っても挽回できない。この学校評価の成績の付け方に俺は矛盾を感じざるを得なかった。

だから、俺は勉強なんて一生懸命やらなくて、グレたほうが良かったよなって今でも思っているのだ。

周りから「中2のときは頑張っていたのに、成績悪くなってどうしたの?」って言われても

「いや、なんか、行くところまで行ったら伸びなくなって疲れたし、なんか飽きた。他にゲームとか楽しいこといっぱいあるから、そっちやってるほうが楽しいし」

こんなセリフを吐くのだ。

実際、友達とバカなことやったり、アニメ見たりゲームやっていたりするほうが楽しかったし。
楽しめていた。

それで成績が悪くなったって、結局、頑張った結果が本当に入りたかった高校に入れなかった
なのだから、バッドエンドも甚だしい。

別に成績が良いから、幸せな生活を遅れたかと言うと、それが必須でもないわけだし。

なんだか、明るい話題から一転してひねた暗い内容になってしまったが、俺が高校受験に感じてた理不尽さはわかってもらえたかと思う。

1996年
楽しい時代だった。
俺は俺を楽しんでいた。

戻れるものなら戻りたい、俺はそう思っている。
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