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俺は住んでる世界に満足できなかったんだよ

今更隠すことでもないが、俺は北海道の旭川というところに住んでいる。
子供の頃から、(好き好まず)ずっとだ。

都会といえば都会だし、田舎といえば田舎である。
総じて、ちんけな都会と言う事ができると思う。

さて、どうして突然こんな話を出したのかと言うと、それには訳がある。

今回は俺が暮らしてきた環境、世界について語りたくなったからだ。

子供の頃から俺は、どうもこの故郷が好きになれなかった。
どういうことだろうか?

なんていうか、小さい頃に物心つく頃に触れたゲーム、ファミコンに大きな関係がある。

家にはゲームだけでなく、ゲーム雑誌も置いてあり、小学校上がる前、幼稚園の辺りから、
それを読んでいた。
まあ、半分以上は意味を理解できなかったかと思うが。

ゲームとゲーム雑誌。この2つに触れて育った俺は、「コンピュータというこんなに面白い世界が広がっているんだ」という気持ちになった。

最初はただ、ゲームに夢中になっていただけだった。
そこから、当時で言うならマイコン、パソコンを知り、ゲームを作っている側を知っていく。

自慢じゃないが、小学校中学年ぐらいにはもう宮本茂の顔まで知っていたし、
ゲーム会社で頭角を現してきていたメーカー、コナミ、ハドソン、ナムコ、カプコンなど
そういうゲーム会社が何を出しているかなど、記憶しだしていた。

そうなると、もう日常が退屈になっていくのだ。
コンピュータとはかけ離れた、旭川という日常の世界が。毎日が。

人並みに外で野球やったり家で友達とゲームやったりカードダスをやって遊んでいたが、どこか面白くなく、虚無で外にいる時間が退屈だった。
ああ、何やってるんだ俺という気持ちだ。

だが、親には子供は外で遊べと外に無理矢理出されるし、外に出ると遊ぶ友達がいたから、仕方なく遊んでいた。
内心、どうしようもなくつまらなかったが。

小学校低学年の頃にはもう、PCエンジンとCD-ROMが家にはあった。
そこからますますゲームという世界が魅力的になっていく。

PCエンジンのCD-ROMは当時PCエンジン本体を除いても7万円を超えるほどの高額商品だった。
それをうちの親父は買ってきた。
1989年のことだったと思う。
ファミコンより遥かに性能の良いPCエンジンのCD-ROMは、なめらかで派手なアニメーションを画面内で繰り広げ、スピーカーから流れるのはシンセサイザーを使った豪華な生バンドのBGMだった。

やっと世の中の小学生がファミコンでゲームに魅了されていた頃。
そんな高性能マシンに触れて、魅了されないわけがない。

ファイティングストリート、イース1・2、天外魔境1、コズミックファンタジー1……

これらのCD-ROMソフトに俺は魅入られていった。

こうなるともう、お外で遊ぶのが、いよいよ本格的に馬鹿らしくなっていった。

だって、家に帰れば、ファミコン、PCエンジンがあって、そこでは当時としては考えられないほど
高度でリアルな世界が広がっていたのだから。

俺の世代で、親がゲームを遊んでいるというのは極めて珍しかった。
俺が通っていた小学校でも、親が本格的にゲームをやっていたというのはクラスで唯一だったと言っても過言ではなかったと思う。

親に買ってもらうのではなく、親が買ってくるゲームは、子供にとっては刺激的で衝撃的だった。
当時のドラクエやファイナルファンタジーやマリオでは味わえない感動や刺激がそこにはあった。

勿論、それにはアダルトな世界もあった(小学生にはロマンを感じられたものではないが)。

そんな環境に置いて、親にけしからんと言いたくなる人もいるだろうと思う。

だが、何が正しくて何が正しくないかというのは、結局その時その時になってみないとわからない。
確かにゲームのない世界で普通に育てられたら、今の俺はいなかっただろう。
だけどそれは、凡庸な、どこにでもいる普通の人だ。
そんな人間になって何が面白いのか。
今の俺を見て、間違ってるといいたいのだろうが、仮に俺がうまくやっていたら、そんな言葉はきっと出てこないだろう。

今なんて、子供にスマホやらパソコンやら渡して遊ばせている親なんてざらにいる。
俺の時代は、昔だったから、そういう環境に陥るケースが少なかったというだけで。

もう、その環境で育ってしまったのだから、仕方のないことだろう。

余り書くと自己弁護がどうたらという話になっていくのでこのへんで打ち切る。

そんな育ち方をしたものだから、学校の勉強はつまらないし、外で友達と遊んでいても物足りない。
まあ、友達と遊ぶのはそこまでつまらなかったわけではないが。

とにかく、隔週刊で発売されるゲーム雑誌や親が買ってくるゲームを追っているのが面白く、それ以外はどうでも良くなっていた。

でも、周りを見渡せば、案外そんなもんじゃないか?

週刊少年ジャンプのドラゴンボールを筆頭に、漫画に夢中になっていた。

俺は、そういったものには見向きもせず、ひたすらゲーム。ゲーム雑誌を読み漁っていた。
それが、何よりも至福のときだったからだ。

中学校に入ってからも、俺はひたすらゲームばかりで勉強をしなかった。

中2になってすぐにあった定期テストで数学を100点中、8点を取った。

それは俺にとって、今更だった。
だって、親に見せなくても済む小テストで何度も100点中0点を取っていたからだ。

8点という点数に、親は流石に激怒した。

その時から俺は、勉強をするようになった。
この辺の話は別のエントリでしてるから、詳しくは書かない。

いや、別の目線で少し触れておこうか。

俺は、親に怒られて、少し周りを見渡したんだ。

そうしたら、学校の成績が悪い人は、本当に馬鹿で、頭が悪そうで、話も通じないようなやつがいた。見るからに点数の悪そうな振る舞いをしているような奴らがいた。

気持ち悪っ
俺は自分のことを顧みずそう素直に思った。

俺はそいつ等と同じになりたくなかった。

そう

そうである。

俺は、自分より下の人間を見て、“こうなりたくない!!”と思って勉強を始めたんだ。

勉強しないでも30点取れていた人間が、勉強を始めると当たり前だが点数は上昇する。

だが、俺にとって勉強は面白くなく、ただのゲームを遊ぶための足かせにしか感じなかった。

俺にとって、成績はただのステータス。

良い点数を取っておけば、頭の悪そうな奴らと一緒にされないし、一緒にならないだろう。

ただ、そういったモノでしかない。

ゲームで言う、無機質に居並ぶパラメーターのようなもの。

低いとバカにされるから、それを上げるだけ…みたいな。

だから点数が上がると嬉しいとかもあまりなかった。
俺の欲しいものを買ってくれるみたいな褒美もなかったし、頑張るだけただ虚しいだけだった。

昔のエントリには成績が上がるのが嬉しいとか書いてた気がするが、本音や実態を言うと、このようなもんだ。

そして、中2の秋になって、俺は欲しいゲームを買うために新聞配達を始める。
この辺の話も何度も書いてきているから、ここでは詳しく書かない。

中2の冬ころ、我が家にとうとうパソコンがやってきた。

親父がゲームに飽きて、パソコンを買いだしたのだ。

折しもWindows95ブームが到来した直後だった。

ここでパソコンを弄り倒して、プログラムの一つでも習得してれば、将来違ったのだろうが、そんなに都合よく事が運ぶわけもない。

親父がたまに使わせてくれるパソコンで、中途半端に遊んで終わるの繰り返しだった。

何よりこの頃、新聞配達に勉強に忙しく、ほとんど遊ぶということが出来ていなかった。

中3の秋のことだった。選択授業でPCでプログラムを組むというカリキュラムがあった。
俺は迷わずそのカリキュラムを選択した。

コンピュータ室で、ベーシックを組む授業だった。

俺はワクワクしていた。

今でもその授業内容は覚えている。

電圧の計算をベーシックでプログラムするというものだ。

このとき俺は、タッチタイピングもマスターしていなかった。
だから、人差し指で一つ一つゆっくりプログラムを書いていった。

俺は夢中になってやったので、人より早く電圧のプログラムを完成させた。

なので、画面を装飾するというプログラムも付け加えていった。

俺はホントにこの授業を楽しんでいた。
このときほど学校の勉強が楽しかったということはない。
もう、毎週、選択授業の時間が来るのが楽しみで仕方がなかった。

たったの2,3ヶ月しかなかったが、学校の授業で初めて有意義だと感じた授業だった。

こんなに有意義な授業だったのに、周りを見てみると、真面目に取り組んでいる人が本当に少ない事に気づいた。

「なんでなんだろう!?」

俺は疑問に思った。

それだけではない。
中学に入ってから、スポーツ系の部活で汗を流す人たちが理解できなかった。

中学は絶対にどこかの部活に入っていなければならなかったので、俺も実際、最初は友達に誘われて、卓球部にいやいや入ったことがあった。

だが、スポーツは運動神経が悪くて苦手だったのでうまく出来なくてまるで全く楽しくなかった。

俺はすぐに退部届を出して文系のサボれそうな部活に入った。
実質帰宅部と言うやつだ。

スポーツ系の部活に入って一生懸命汗を流すということが俺にはどうしても理解できなかった。

何故か?

簡単な話だ。

そのスポーツが得意な人は、それで全国大会に出たり、何かの大会で1位を取るなどして賞をもらったり出来るだろうが、それ以外は、結果を残せず、ただ自己満足で終わっていく世界だ。

いわゆるピラミッドのような構造になっている。
低層の連中は何も残せずに終わっていく。

そんなことにいくら頑張っても何を得ることが出来るのか?

俺は本気でそう思っていた。

運動神経が鈍くて、身体を動かすのが苦手だから、体育会系のことについて徹底的にそう感じるのかもしれない。

だが、部活に入って体を動かしたからどうだ?
その後の人生にそんなに大きく影響が起こるのだろうか?

まあ、友達が増えるとか、それがきっかけで彼女が出来るとかそういうことはあるかもしれない。
だけど、それは直接的に部活とは関係ないことだ。

なんか、スポーツ系の部活に入って頑張るとか汗を流すとかっていうことが、美徳にすらなっているような風潮、空気が俺は嫌だったし理解ができなかった。

そこに俺みたいな不向きな、下手くそな人間が意固地に居座っていてもなんにも得られない。

この考え、どうだろうか?

俺はそれなりに大きな中学にいたから、どのスポーツ系の部活も人が沢山いて序列階級がはっきりしていた。
だからいくら頑張っても、スポーツの苦手な人間がエースに抜擢されるなんてことはないし、駄目な人間はそれなりの地位が待っていることがわかっていた。

逆に、その環境でエースになれたのならば、地区大会で優勝したりということが可能になれるような学校だった。

そして、もう一つ周りに対して理解できないことがあった。

ゲームとかコンピュータという世界がこんなにも将来性に満ちた可能性を見せていた時期に、
それに興味を持つ人間があまりにも少なすぎたことだ。

多くの人が何気なくゲームはやっていた。
だが、そこに熱い情熱を注ぐ人もいなければ、深く興味を持つ人間もいなかった。
どちらかと言うと娯楽としてはゲームはまだ弱くて、漫画が圧倒的だった。
アニメも、オタクっぽいという理由でまだマイナーな存在だった。

男子が将来の夢に挙げる職業は、「自動車整備士」で、俺はそのことが理解できなかった。

地元の工業高校にはプログラムを学ぶ学科がなかった。
つまりは俺は、俺の興味を満たせる世界が地元・旭川には存在しなかったのである。
(今は違う、付け加えておくが念の為。これは昔の話である)

そこで俺は、親の反対を押し切って、高校は進学校を選んだのだった。

さて、俺の若かりし学生時代の昔話はここまでだ。

俺はなにかクリエイティブなことがやりたかった。
何もゲーム開発ということだけではない。

人は俺のことをワナビーとか言うのだろうが、
なんにも挑戦せず、夢の一つも持たない人間にはなりたくない。

ちなみに、中学の同級生で、ゲームクリエイターになった人間が2人いる。
俺が若き頃、夢を見ていたことは、そんなにそこまで、無理なことだとは思っていない。
しかも一人は、仲良かった友達で、成績は俺よりかなり悪かった。
今はもう、無理だと思うけどね。

勿論、2人共、上京している。

他にもエグい話を混ぜ込みたかったが、俺が悪者になりたくないから、辞めた。

終わります。
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