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2014年、今から5年前。毎日ハローワークへ通い、必死に仕事を探していた暑い夏の苦悩の日々...。

今からもう5年も前。
2014年夏のことだ。

俺は毎日、家から遠くにあるハローワークに足繁く通い、必死に仕事を探していた。
(正確には、ヤングハローワーク。今は駅前に移転して、俺が通っていたところはもう見る影もなくなった)

それはもう、窓口の人に顔を覚えられるぐらい、毎日、日課のように通いつめていた。

毎日、検索PCで、新着のところを見る。
旭川市内、札幌、東京の順で見る。

そして、印刷しておきたい求人があったら、即印刷して取っておく。

この作業を毎日ひたすら、機械のように繰り返していた。

勿論、窓口に相談したりもした。

窓口に相談して、狂ったように受けまくったのは2013年夏のことだった。

ところが、どこも面接にすらたどり着けず、書類審査だけで落とされるばかりであった。

俺は当時、31歳であった。

焦りがあった。
とても、焦っていた。

そんな中、一社、「直接来い」と窓口対応の人に電話口で言っていたらしい会社があった。

面接を受けた。

年配の社長が直々に登場し、いきなり面接が始まった。

態度は冷たかった。

こんなことなら、呼ぶんじゃねえよとさえ思った。

こっちだって、そこまでして入りたくて来てるわけじゃねえんだからよ。

そんな本音を心にしまいこんでいた。

その後、障害者向けの作業所に3ヶ月通ったり、ヤマト運輸の深夜の仕分け作業を2ヶ月間働きに行ったりで、ハローワーク通いは中断。

2014年春からまた、ハローワーク通いが始まった。

このとき、俺は年を1つ取り、32歳になっていた。

一年前より、俺には焦りがあった。

今みたいに、世は人手不足人手不足という時代ではなかった。
どっちかというと、求職者にはまだ、冷たい時代だった。
(これは、今もか)

毎日必死に探して求人票を印刷する日々

受けられる会社がなかなかなかった。

また、どうせ落とされる

そんな現実を痛いほど味わってきたこともあり、どんどん弱気になりだしていた。

『こんなことをする、意味はあるのか?』

そんな疑念すら湧いてくることがあった。

だが、俺は義務かのように、毎日必死にハローワーク通いを続けていた。

そして......
2014年夏の終わりのことだった

毎日機械のように必死にハローワーク通いを続けていた俺だったが、遂にプッツリと心折れる日がやってきた。

『こんなことをやっていても、何も意味がない』

そして、俺はハローワークに通うという正攻法の道を捨てたのだった。

俺は一体何ヶ月、ハローワークに通った?
会社を受けては落とされ受けては落とされをどれだけ繰り返したんだ?

もう、この方法ではダメだと言うか、意味がないということの証明になるのではないだろうか?

こうして俺は、頑張るのをやめた。

頑張るのをやめたら、気持ちがとても楽になった。
勿論、焦りやプレッシャーは消え去ることはなかったが。

毎日、就職就職と、頭の中をどんよりと支配されていた日々がなくなり、スッキリするようになった。

それは、周りは俺のことを悪くいうのだろうが、俺にとっては助け舟に乗ったような気分だった。

こうして俺は、開き直ったのだった。

ときは4年後、2018年

俺は再びハローワークにいた。

俺のいる場所は、障害者向けの窓口だった。
俺は障害者になったのだった。
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