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無料延長が可能になって早くも一年、少しずつではあるが快適になっていったニコニコ生放送

ニコニコ生放送を良く利用している。

ここをご覧の方は、使ってない、離れた、ニコ動は見るけど、ニコ生は気持ち悪そうで見ない
など、といった方が多そうだ。

ニコ生には、独自ルールがあり、30分1枠で構成されており、これを延長するにはお金が必要というものがあった。
延長せずに放送する場合は、毎回30分で配信を終了し、続きを別枠で取り直すという非常に面倒な習慣があった。
今となっては信じられないあくどい仕様だ。

しかし、一年前の8月
この有料延長制度が廃止され、自由に延長ができるようになった。
ちなみに、無制限というわけではなく、最大6時間までという決まりがある。

すでに、覚えている方はいないかもしれないが、これはとても重大な出来事だったのである。

この仕様撤廃のおかげで、ニコ生でも長時間配信が容易になり、時間に縛られることがなくなった。

配信する側もそうだが、視聴者側もこのおかげで快適になり、配信が見やすくなったのだ。

それ以外にも、ニコ生は快適になるべく、いくつかの仕様変更を行っている。

まず、一般会員には辛かった、追い出しの廃止だ。

ニコ生には座席数があり、一部屋500人という制限がある。
500人を超えると、プレミアム会員の人が優先して部屋に入れるという仕様になっており、
お金を払ってない一般会員は、視聴中の配信から追い出されてしまうのだ。

これに対して、一つの配信(放送)で視聴者数が500人を超えると、立ち見席というサーバーが立ち上がる。
立ち見席も一部屋500人で構成されていて、立ち見サーバーも埋まったら、また新しい立ち見サーバーが立ち上がるという仕掛けになっている。

今のニコ生は、一般放送でも立ち見サーバーが出るようになり、追い出し自体がなくなった。

最後になるが、快適になったかどうかは別として、動画再生プレイヤーが巨大化した。
ニコニコ動画と言うと、あのおなじみの画面サイズで、右側にコメント表示枠があって...

というものを想像するかもしれないが、今のニコ生は画面レイアウトが大きく変わって、
画面が巨大化していて、他の動画配信サイトと似たような感じになった。
画質も、ビットレート制限などが緩和されて、高画質配信ができるようになっているようだ。

他にも、クリエイター奨励プログラムとか、これから始まるだろう投げ銭システムとか、この前書いたニコニ広告の仕様変更など、様々な部分が新しくなっている。

やはりこの中でも無料延長と追い出しがなくなったという2つは本当に大きいことだと思う。

別にニコ生推ししているわけではまったくないのだが、もしこれを見ている人が昔のニコ生のイメージをずっと引きずっているのなら、ちょっと触れてみてほしいと思うのだ。
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何もしなくても、時は流れて行く

題目のとおりだ。

俺は毎日、時間を止めたいなと思う。

なぜなら、人生が動かないまま時間をただ浪費しているからだ。

だがそれは叶わぬ願いである。

俺は、「待つ」という行為が大嫌いである。

待っている時間、ただ時間だけが過ぎ去っていくからである。

俺はなんとかして、人生を動かしたい。

こうやって、困っている時間、なにもない時間、その瞬間にも時間だけは流れていっている。

これは、とんでもない損失だ。

俺はなんとかして、現状の問題を打開したい。

本当に、そう思っている。

しかし、なかなかうまくいかない。

人生を動かす突破口が見つからないのだ。

俺は本当に困っている。

なんとかして、この暗闇から抜け出したいと思う。

俺は、時間が許すのならば、やりたいことがいくつかある。

一つは、RPGツクールでゲーム制作のリベンジを行うことだ。

今年の3月に完成させたRPGは、自分の納得行く完成度にはならなかった。

なので、今度は納得行くゲームを仕上げてやりたいという気持ちだ。

だが、それをやっているだけの時間はもうなくなってきており、俺には作り上げられるだけの芸も腕も無い。

誰か助けてくれるような人脈もない。

以前書いた、「芸も金もない人のところに人は寄り付かない」

これを体現しているのである。

以前RPGを作っていたときは、どういうゲームにするか?という完成型をしっかり考えないまま、なんとなくゲームを作っていたのが良くなかったと思っている。

今度は、そういった部分をしっかり考えてから、きっちり作っていくことが必要だとかんがえている。
また、いきなりリメイク作品に挑戦したのも無謀だと思っている。

しかし、残念ながら、今の俺は、もうゲームを作れるだけの時間は残されていない。

大変かもしれないが、またゲーム作りをすることが、俺には必要だと思っている。

頼む、誰か、助けてくれ!!

ゲーム配信の視聴者を続けて、気がつけば10年以上経っていた。変わらない自分に焦っている。

いつも、自分がゲーム配信者であることばかり書いているが、今回は違う。
全く正反対の視聴者側の立場での話だ。

2006年秋。

俺は自分のホームページを持っていて、そこに開設していた掲示板に書き込みがあった。

「この動画面白いですよ」

それが、ビビリがやるバイオハザードという、かつて、有名だったゲーム動画だ。

そこでは、ゲームをやりながらプレイヤーが喋っている様子が映し出されており、今で言う「ゲーム実況」動画であった。

動画は、どこからか転載されたものだというのは、俺にはすぐわかった。

そして、
「こんな面白いこと、どこでやっているのだろう?」

こんなふうに思って、ひたすらネット上を探し回ったものだった。

ところが、見つからない。

それからも、暇を見ては探していたのだが、なかなか見つかることはなかった。

なにせ、どこでやっているものなのか、見当すらつかなかったからである。

この一件で痛感したのが、言葉というのは本当に重要だということだった。
今でこそゲーム実況という単語が生まれ、それが当たり前のように使われているが、
2006年当時、そんな言葉は一般的ではなく、ゲーム配信が行われている界隈だけで使われていただろう単語。
外部の人間である、俺にとっては、いくら頭を捻っても出てこない言葉であり、思いつかなければ検索にもかからない。そんな歯がゆい状態だった。
また、ゲーム配信という単語も、今でこそ、ゲーム実況の生配信の意味で通るが、当時の俺がそこにたどり着くことは容易ではない、というか不可能だろう。
ゲーム配信=インターネットでゲームが配信されること、と解釈することだろう。

それからしばらくして・・・。

2007年2月頃のことだったと思う。

俺は2ちゃんねるのなんでも実況Vという掲示板にたどり着いた。

今になってみると、どういう経緯で、その掲示板と出会ったのか、全く覚えていない。
まさに、奇跡的と言ってもいい状況だったような気がする。

そこで、見てしまったのだ。

今まさに、ゲーム生配信が行われている姿を!!

そこで俺は、N64「ゼルダの伝説 時のオカリナ」がゲーム実況されているスレッドを見る。

視聴方法などはどうやって探り当てたのか、もう俺は全く覚えていない。
このブログを始めた頃だったら、覚えていて、そのへんの描写も書けたのかもしれないが、なにぶん時が経ちすぎた。

好奇心にかまけて、俺は必死に見たい!!見たい!!と夢中になっていたから、あとになって思い返すと、思い出せないぐらい眼の前のことに集中していたのかもしれない。

おそらく視聴者数は100人くらいだったと思うが、スレッドにはそれまででは考えられない速度でレス、コメントが書き込まれていった。
俺も視聴を始めて、すぐに面白くなって書き込みをしまくった。

これが、俺とゲーム実況との出会いである。

今でこそ当たり前のこと過ぎて、何も感動するような場面ではないのかもしれないが、
当時はまだYoutube、ニコニコ動画が出来て1年経ったか経たないかの時期。

ネットの動画配信なんてまだ全然普及していなくて、ネットで動画が見れるというだけでも
とてもとてもセンセーショナルな体験だったのである。

それが、自分の大好きなゲームで、他人がゲームやっている姿が見られて、声で反応も聞けるということが
いかに新しい時代の到来、幕開けを感じさせたか、本当に常識がひっくり返るほどの瞬間に俺は出会ったのだ。

後から知ったことだが、こういったゲーム実況、ゲーム配信が始まったのは、更に遡ること2年前、
2005年頃から、2ちゃんねるで行われていたらしいということだ。

だから、俺が動画配信の衝撃に出会ったのは、当時から言うと、遅い部類の方だったのである。

それからしばらく、他人のゲーム配信をいくつも見ていた。
俺の知らない、東方という同人ゲームをやっている人とか、それまで俺が知らなかった世界が、どんどん広がっていった。
自分よりはるかにゲームの腕がある人がゲーム生配信を行っていて、それに見入ることもあった。
他人のゲームプレイを簡単に見ることができるようになって、自分がいかにゲームが下手だったのかということがよくわかった。
とにかく、これらの出来事によって、俺の中の常識は一気に崩れ去り、新しい時代の幕開けを感じさせたのだ。

ちなみに、2007年4月から、俺はゲーム配信者の側に立って配信を行うことにもなっていったのだが、
そのへんの話は今回はバッサリカットしている。すでに別のエントリで何度も何度も書いてきた出来事だからだ。

その後すぐに、peercastという世界も知る。
当時はpeercastの方が、たくさんの人が配信していた。
色々面白そうな配信がたくさんあった。

ソフトの導入は難しかったが、ゲーム実況生配信が行われている場所を探し当てるよりは遥かに楽だった。

俺はpeercastでゲーム配信を見始めた。

それから、視聴者としては大きな出来事は特に無い。
面白そうな配信を探して、見る、探して、見る、探して、見る、ただこれだけだ。

最初の頃は、ゲーム配信に対してコメントしまくっていたが、次第に俺はROM勢になっていき、コメントすることもなくなり、ゲーム配信に対して熱狂的になることもなくなった。

2008年頃にはもう、テレビ感覚ラジオ感覚になっていたように思う。

しばらくはpeercastだけ見ていたが、ニコニコ動画がニコニコ生放送を始めたと言うので、
そっちの方も見ることにした。
サービス開始してからすぐではなく、少し立ってからぐらいの時期だったと思う。

これが大体2010年頃の出来事だ。

その時、ニコ生を見始めて、俺はゲームだけでなく、喧嘩凸や若い女子(JK)雑談とか、ニコ生特有の配信も色々見ていた。
しかし、最終的には、ゲーム配信へと戻っていった。

その後、peercastが通信回線の関係上見れなくなった。2011年秋のことである。
そして、ニコ生にも飽きた俺は、ゲーム配信からまたたく間に縁遠くなり、見ることがなくなった。

それから時を経て、2018年1月・・・

俺はニコ生に戻ってきた。

また、ゲーム配信を見る日々が戻ってきたのだ。

俺は軽いデジャヴを覚えた。

10年経ってもやっていることが一緒だと。

しかし、世界は変わった。
今はソシャゲ配信、インディゲー配信、オンラインマルチの通信対戦が主流となり、俺はカルチャーショックを受けた。
そんな中、レトロゲームを配信しているところを見に行き、テレビ、ラジオ感覚で視聴をしている。

俺は10年経っても、結局ここに戻ってくるのだな、進歩がないなと呆れてしまったものだ。

だが、それから約10ヶ月近く経ち・・・

また俺はゲーム配信というものに飽き始めている。

はっきし言って、俺には変化が必要だと思う。

いつもいつも、配信を見る側
こればっかりじゃ、飽きて当然だ。

また、配信する側に戻ったって見る人なんかいないよ

たしかにそのとおりだ。別にそれを積極的にやるつもりはない

だが、なにか別の世界への扉を開いたりしなければ、同じことの繰り返しだと思うのだ。

皆さんはこの話を聞いてどう思っただろうか

今年も9月がもう終わろうとしている。

題目のとおりだ。

2018年も、気づけばもう9月が終わろうとしている。

外に出れば、寒空の下、身に染みる秋風が吹きすさぶ。
夏は完全に終わり、秋がやってきたのだ。

今年も残り僅か3ヶ月だ。
たったの3ヶ月しか無い。

俺はいつも以上に、焦っている。
自分の人生に何も進展がないことに。

例えば、今月のはじめに受けたとある障害者雇用の企業。
俺は簡単に入れるものだと、たかを括っていた。

根拠のない自信があった。

受かったらどうしよう・・・?

そんなことを勝手に思っていた。

だが、現実は甘くなかった。
俺はあっさりと落とされ、根拠のない自信は打ち砕かれた。

なにせ、たった5人の採用に、35人もの人間が受けに来ていたのだ。
そんな状態にあっても、「俺だったら上位楽勝だろ!!」などと思っていた自分が、今となっては恥ずかしい。

他には、地震が起きて停電になったり、その後すぐに風邪を引いて1週間が無駄になったりした。
9月なんてあっという間だった。

親もいつまでも生きているわけではない。
この歳になってきて、それを痛感しだしている。

早く、俺は人生を動かしたい。
前でも後ろでもいいから。

なんとかして、人生を動かしたい。
そうやって、毎日俺は焦っている。

もうすぐ10月がやってくる。
10月にはなにか人生が前に動くことがあることを願っている。

頼む、誰か、助けてくれ!!

ニコニ広告の無料広告チケットが全然当たらなくなってつまらなくなり、飽きてきている。

ニコニ広告をご存知だろうか。

どういうものかというと、好きな動画、生放送に広告を撃つ事ができるというものだ。
ニコニ広告自体は昔からあったが、今年の6月からリニューアルした。

ニコニ広告がリニューアルしてからは、毎日1回無料ガチャを回して、無料広告チケットがもらえるようになり、無課金でもニコニ広告が楽しめるようになった。

俺は、このニコニ広告がリニューアルしてから、積極的に広告を撃つようになっていた。
もっぱら、ニコ生のお気に入り配信者に広告を撃っている。

ほぼ特定の配信者にだけ広告しまくった結果、その配信者の広告貢献度がぶっちぎりで一番を取るほどになってしまった。

俺は面白かった。

広告を戦略的に撃っていくことで、より多くの無料広告チケットがもらえることがある。
それを使って、特定の配信者に広告しまくって、貢献度1位を維持することが楽しくなっていたのだ。

また、放送内で広告貢献度が順位付けされて表示されるので、1位をとっていると、いい気分に浸れるのだ。

ところが9月に入ってからガチャ運が悪くなり、高額チケットが当たらなくなっていき、全然ニコニ広告が出来なくなってきてしまった。

これは、俺だけに起こっている現象なのだろうか?

8月は、無課金でもS級広告主になれるほど、広告を撃ちまくれたのだが、9月に入ってからさっぱり無料広告チケットが手に入らなくなった。

8月はすごかったものだ。

無料配布のふくびきチケット(無料ガチャチケット)で、1等の10000ポイントがあたったり、
別のふくびきチケットでも2等の5000ポイントがあたったり、凄い当たりっぷりだった。

それ以前でも、そこまで引きは良くなかったのだが、広告チケットが余るぐらい持っていたりしたものだが、9月に入ってからはさっぱりだ。

俺は、段々とつまらなくなっていった。

ガチャチケットが当たらなくなっていったので、放送内でのランキングでも1位は取れなくなり、それどころか、ランキングに載ることすら出来なくなっていった。

こんな状況に陥り始めて、俺は飽き始めていた。

ここでこんな飢餓感を味あわせて、ニコニコポイントの課金を促すのが運営の手なのだ。

俺は絶対に払わないぞ!!

そこに払うぐらいなら、プラチナ会員の月額540円の方に払う。

最近は、ニコ生のレトロゲーム配信枠が、すっかり寂れてしまった。
俺は、ニコ生自体にも、飽き始めているのかもしれない。

寂しいものだ。

ゲーム雑誌のクロスレビューがなぜここまで注目され、権威を得ていた時代があったのか。

実は俺はゲーム雑誌をかなりたくさん読んでいて、実際購読していたこともあった。
しかし、引っ越しでやむなく捨てたり、同居する親に「邪魔だ!」と捨てさせられたりして、
今や殆ど手元に持っていない。

とあるきっかけで、家に保存してある少ないゲーム雑誌の中から「電撃ニンテンドウ64」を読む機会があった。

この雑誌にもクロスレビューのコーナーが存在していたのだが、読んでみて愕然としたものだ。

クロスレビューのレビューはもっと中身のあるものだと思っていたのだが、まあ、担当者が1,2時間プレイした感覚を書いている程度の内容なのが丸わかりで、「クロスレビューってこんなもんだったっけ?」と感じてしまったことから今日のエントリは来ている。

ゲーム雑誌のクロスレビューとはなにか?

まあ、検索してもらって、意味なり何なりを調べてもらいたいのだが、あえて書くとするとこうだ。

発売前のゲームソフトを複数人(4人であることが多い)で短文レビューして、各々が点数をつける。
点数は10点満点であることが多いが、100点満点のこともある。

もっと付け加えると、読者にとって注目度の高い(あるいは高かった)コーナーだったが、雑誌全体からすると、わずか数ページのワンコーナーであり、ここに全精力を注ぎ込む余地はない。

発売前のゲームソフトを、たくさんゲームを遊んでいるゲームライターが、手触り感を点数つけてレビューするというのがクロスレビューだ。

そして、その内容から、読者からの注目度は高く、今はそれはネット上に舞台を移し、主に海外サイトではレビュー専門サイトがあり、そこで付けられる点数、レビュー内容が物議を醸している。

このクロスレビュー、今みたいにネット社会になる前は、発売前のゲームソフトの評論を見られるのはこれしか存在しなかった。

そして、読者からすれば賛否両論どころか、どちらかと言うと、評判が悪く、あてにならないとかそういった声が多かった。

俺はこう思う、あてにならないとはどういう意味なのだろうか、と。

点数つけて、短文レビューするのだけど、その内容が、本来評価されるものが評価されなかったり、全然実態と異なっていたりということなのだろうか。

しかしそれは当たり前のことではないだろうか。

まず、読者(ユーザー)との環境の違い。

発売前のソフトをプレイしてレビューするのだけど、完全な完成版をプレイできるわけなどなく、実際に触るのはほぼ完成版をプレイすることになる。
そうしたら、細かいバグとか残っていたりするだろうし、そんなところまで真に受けてレビューする訳にはいかない。
それにほぼ完成版というサンプルROMを借りてプレイするのだから、揚げ足とったようなあまり辛辣なことも書けないのは当然のことだろうと思う。
(でも実際、俺が読んだ「電撃ニンテンドウ64」は毎号、ここまで書いていいの?って言うぐらいだめな部分もだめな部分で、ハッキリ書かれていたが。それも、ネット上でブログなどでレビューを書いたら、「何いってんのこの人」と炎上しそうなほど厳しく書かれていた)

それにもちろん、「このバグ、あるいは仕様製品版でどう変わってますか?」など一々開発スタッフに聞くわけにもいかない。
そんな状態から、レビューを書かなければならない。

それだけではない。
雑誌のわずか数ページでしかない、クロスレビューのコーナーに、数十時間と時間を割くわけにもいかない。

俺が冒頭に書いたように、まあ各担当者が1時間、良くて2時間触れた程度の感想をレビューとして載せているのだろうというのは、既成事実として読むべきではないだろうか。
(実際、サンプルロムをクリアまでプレイしてクロスレビューを載せていた雑誌もあったそうだが。俺が知る限りでは、電撃PCエンジンと、その後継誌の電撃プレイステーション。電撃プレイステーションは今も刊行が続いているが、今はどうなっているのか知らない。今から言って初期の時代のことだ)

そんな環境で、あなたがゲームライターなら、的確なレビューを、しかも全ソフトに渡ってかけますか?って話だ。

1本のゲームを、たった1,2時間やった程度で、偉そうにレビューを点数付きで載っけられるのかなどと憤慨する人がいるだろうが、正直な話、現実的なラインとしてはそれで当然だと思う。

荒れる原因となったのは、ファミ通がそれでもクロスレビューではない別の何かのコーナーで「うちのクロスレビューはクリアまでプレイしてからレビューしている」みたいなことを言い張っていたからだと思われる。

今でこそなくなったが、10年前20年前は、クリスマス商戦など繁忙期には1週間だけでも10本から20本のゲームが発売されていた。
繁忙期でなくても、10本ぐらい同時発売されるのは当たり前、一桁しか出ない週のほうが珍しいぐらいだ。

1本1時間としても10本で10時間にもなる。
現実的に言って、これだけのゲームソフトを短期間にクリアして短文レビューを書いてなんてことは、まずとうてい無理だ。

俺は、クリアまでちゃんとプレイしてからレビューを書いてたらしい電撃PCエンジンや電撃プレイステーション(初期時代)すらも、「ホントか!?」と疑ってしまうんだけど、電撃PSはともかく電撃PCエンジンは、月刊だったし、確か1人か2人が長文レビューを書いてた記憶があるから、クリアまでやって、あるいは、10時間ぐらいかけてプレイしたもののレビューを載せていたのは本当なのかもしれない。

次に、レビューとはなにか?という話になってくる。

こうなってくると、話が壮大になりすぎて、俺が語るべき話ではなくなってくるんだけど、
レビューっていうのは何なんだろうか?

「出来の良い」ゲームと「面白い」ゲームは別物だし、それを一緒くたに評価するのもハッキリ言って無理だ。

でも、ゲーム雑誌のクロスレビューというのは、大多数が楽しめるであろうゲームに高評価を与えざるを得ないのは暗黙の了解ではないだろうか。

ネットの素人のブロガーが書いているレビューのほうがずっと信頼性が高いなどと言われるが、俺はそれだって疑問が残る。

では、だれか、具体例を出してくれないか?
俺はそう思う。

俺はネットでも活発に評論活動を行なっている人を探しているが、本当に読み応えがあり素晴らしいと思っているレビュアーは一人しか知らない。

その人は、ある意味有名だしある意味無名な存在で、どちらかというとネット上のゲーマーの間では知られていない存在だと思う。

ネット上のゲーマーの間で知られているレビュアーで、絶対に信頼の置ける人というのを俺は出会ったことがない。
もしよかったら、この機会に、その素晴らしいレビュアーを教えていただけないだろうか。

話を戻す。

「出来の良い」ゲームと「面白い」ゲームが別物である理由について書く。

それは、「面白い」けど「出来が悪い」ゲームというものが存在するからだ。
その逆に、「出来は良い」けど「つまらない」ゲームが存在するからだ。

出来が良いのにつまらないゲームなんてあるのか?って言われるかもしれないが、具体例を出す。
これも物議を醸すかもしれないが、「ファイナルファンタジーXIII」である。
映像美術、戦闘システム、素晴らしく作り込まれているが、料理で例えるなら最後のスパイスや味付けの付け方がミスマッチで、つまらないゲームになってしまった。
だけど、個々を見ていくと、戦闘シーンだけを見れば面白いみたいな部分はある。ムービーだけは綺麗で見ごたえがある。が、ストーリーの魅せ方が悪い、とか。

これは、逆を言えば、「面白い」けど「出来が悪い」ゲームとも言えてしまうのだから、難しい話だ。
だけどFFXIIIはコアターゲット層を考えると、評価を低くされてしまうのは仕方のないことだと思う。

これを、1ゲーム雑誌というメディアが、たかが雑誌のワンコーナーであるクロスレビューで、どうやって評価をくださなければならないか

実に、実に難しい問題だと言えないか?

素直に、戦闘は面白い、ストーリーは見せ方が悪い、これでいいのかもしれないが、みんなが期待している超大作RPGに、そんな塩をかけるような行為が本当にできるだろうか?

やっぱりそこは”空気を読んで”、表現する必要が出てくるのではないか。

話をもう一度戻すが、そもそもレビューとはなんだろうか。

難癖の付け合いをして、正当評価するためのものだろうか。
それよりかは、「面白いところ探し」をするのがゲームレビューだと思っている。

それが、雑誌のクロスレビューになると、読者からメーカーの提灯持ちと見られてしまうのは、正直なところ、悲しい。

後、今回俺が、ゲーム雑誌のクロスレビューを久々に読んでみて、思ったより厳しいことを書いている(少なくとも「電撃ニンテンドウ64」では)ことには正直驚いてしまった。

ただ、ある意味読者が期待している(レビューとは違うと思っているが)、たくさんのゲームをプレイしているゲームライターの視点から語るプレイ感覚というのが、赤裸々に書かれているというのは、読者が期待しているものにある意味応えていると言ってもいいかもしれない。

ただ、それはネット上に転がるレビューとは違くて、まさにゲームライターの試食会みたいなノリに近いように感じた。

今は、昔のクロスレビューより、ゲームレビューは進化している。

誌面の都合で短文レビューである必要はないし、製品版を最速クリア速報長文レビューなんてものも珍しくない。

何より、ゲームライターだけでなく、ブロガーからも的を射た長文レビューがたくさん投稿されるようになり、それを期待している読者も増えた。

ゲームレビューは形態を変えて進化し続けている。

しかしまだまだ俺にとってはゲームレビューは進化が足りないように思う。

それはここでは存分に語れなかったが、ゲームレビューとはどうあるべきか?読者は何を期待して読むべきか?
リテラシーにも通ずるこの部分が未発達なのである。
とりあえずこのエントリでは、「良いところ探し、面白いところ探しするのがゲームレビューなのである」ということを理解していただくところから始まってほしいと思っている。

本当に出来の悪くて見るべきところのないゲームなら別だが、辛口にこき下ろすのが真のゲームレビューではない。

俺はそう思っている。

芸も金もない人のところに、人は寄り付かない

題目のとおりだ。

悲しい現実だが、芸もない、金もない、こういった人の周りには、残念ながら人は寄り付かない。

俺のことだ。

俺は痛感している。

理由は簡単だ。

人が寄ってくる意味がないからだ。

俺は30半ば過ぎてようやくこの事実にたどり着いた。

だから若い頃から芸を必死で磨かなければならない。

芸があれば、多少人間性がアレだろうが、誰かに必要とされる。
極端な話、犯罪者だろうが、重宝されるのだ。

ここで言っているのは、資格を取れとかそんな現実的な話ではない。

もっと人間の根幹にあるもの、芸というのはそれを意味している。

自分じゃないと出来ないこと、自分じゃないと出来ないもの

それを磨くのが、人として生きる最大目標だ。

残念なことに、世の成功者というのは、だあれもこの基本的なことを教えてくれない。

やりたいことがあれば、それを全力でやり抜けろ

とはよく言うが。

それはイコール、芸を磨くということと同義

しかし、この言い方だと言っている意味を取り違える可能性がある。

これを教えられるのは、人生をさんざん失敗してきた俺にしか出来ない。

だから、理解してほしい。

やりたいことをやり抜くことと、芸を磨くということは全く違うということだ。

例えば、ゲームを遊ぶだけじゃ芸は磨かれない
ゲームを作らなければ、人に必要とされる芸は身についていかないだろう。

今の時代、ゲームやる行為からも、人に必要とされることはあるが、ゲームをやっているだけではだめだ。

これは他のことにも言える。
映画で食いたかったら、映画を見ているだけじゃだめだ
テレビを見ているだけじゃだめだ
音楽を聞いているだけじゃだめだ

そうじゃなく、それを通してなにかをしなければ、芸は磨かれていかない

説教臭くなってきたのでこのへんで終わる。

前リンクを張ったのだが、削除されていたので再リンク


テイルズオブシンフォニアになぜか異様に夢中になった大学3年の秋。

以前、テイルズと俺の出会いについて書いた。
今回はそのエントリの続きのようなものである。

こちらを読んでから、このエントリに目を通してもらいたい。



テイルズオブファンタジアの続編が出る!!

1996年11月のプレイステーションマガジンという雑誌の巻頭スクープにそれは電撃的に載った。

題名は「テイルズオブデスティニー」だった。
俺は色めき立った。

まさかテイルズの続編が出るなんて・・・!!

発売はきっちり一年後、1997年12月23日のことであった。

俺は中3から高校1年になっていた。

友達とカメレオンクラブで体験版を貰いに行って先行プレイしたりとか、そんなことをやって、大変楽しみに待ったのを今でも覚えている。

だが、製品版を発売日に買って、俺の期待は失望へと変わった。



OPムービーが良いだけのクソゲー
(※1997年当時でこの画質は本当にすごかった)

これが俺の感想だった。

キャラクタとかストーリーとかちゃんと見ていけば面白かったのかもしれないが、
俺の中では、これと言った展開のない、テキストが長々チンタラ流れるだけの凡庸なRPG
戦闘は簡単でボタン連打しているだけで緊張感がなく、キャラクタの役割も散漫で
全員がアタッカー全員が剣士、そのせいで前作にあった役割分担がなくなり、弱い敵を叩き切るだけのバトルになってしまった。
謎解きがやたら多くてやたら難しくて、俺より先に進んでいる友達が解けなくて俺に助けを求めてきた。
妙な暗号文を見せられて、それを一緒になって解いてやる。

俺は、「こんな謎解きをやらされるのか」と呆れたものだった。

発売日に買ったものの、ほとんどプレイせず、挙げ句面倒くさくなった俺は攻略本を買って、わからないところはそれに頼りながらクリアという最悪の結末を迎えてしまった。
(※当時はインターネットが普及してない。攻略本を買うのは当たり前の行為だった)

エンディングを見たのは、発売から4ヶ月後の、春休みに入った頃だった。

エンディングを見ても、テイルズオブファンタジアのときのような感動もなにもない。
ああ、終わった。それだけ。何も残らないRPGに、俺はがっかりさせられたものだ。

俺と同世代の人間は、少なくともこういう感想を持った人はいたと思う。

ファンタジアと比べるからだめなんだ、デスティニーはデスティニーの良さがある
今ならこういう風な意見が出てくるのだろうが、違うのだ、
一本のRPGとしても、俺の中ではだめだった。

そして一年後、1998年12月23日

PSで「テイルズオブファンタジア」がリメイクされた。


PS版も普通にいいと思う。俺には思い入れがなかったと言うだけで。発売日にリアルタイムでプレイしてればこれにも思い入れが付いたと思うのだが。

とりあえず買った。だが、なんとなくやらなかった。
別に理由はなにもない。他に夢中になるゲームが有ったとか、新聞配達と学業の両立が忙しかったとか、
当時インターネットを始めたばかりで、そっちに夢中になってたとか、理由は様々だ。

そうやって、テイルズ熱が冷めきった頃、いつぞやにまたテイルズの新作が発表された。

このあたりになると、テイルズ熱が冷めきっているので、いつ知ったのか何で知ったのかとか、
そういうことすら記憶が薄れており、殆ど覚えていない。
(知ったのはフツーにファミ通だったと思うが)

それが、テイルズオブエターニアだった。



ネットでの評判はすこぶる良かった。
俺も、オモシロイと思った。

だが、素直に楽しめなかった部分もあった。
テイルズオブファンタジアのときみたいに心の奥底を揺さぶるほどのものはなかった。

これじゃあだめだ
俺は思った。
何より、テイルズに期待しているハードルは、ファンタジアのせいもあって、グンと高く設定されてしまっていたのだった。

面白かったが、それ以上のものはない。
これが当時の俺の素直な感想だった。

まあ、しょうがない。
俺は思った。

そりゃあ、歳月を重ねれば、衝撃を受けるものも減っていく。
達観して物事を見るようになる。
本当に面白いと思えるものに出会える確率も下がっていくのだろう。

そんなふうに自分を納得させていた。

その後、PS2で「テイルズオブデスティニー2」が出る。
もうこのあたりに来ると、テイルズを発売日に買うのは義務みたいなものになっていた。

この辺に来ると一々OPムービーも貼らない。

ちょっとやってみる。
なんだか手触り感が違う。

戦闘が忙しい、というか、やっていて疲れる。
(今でこそ、複雑なシステムでも理解して楽しめるだろうが、当時エターニアのシステムから一気にデスティニー2のシステムにジャンプされると、俺みたいに置いてけぼりにされる人が出るのは当然だった)

俺はこんな印象を持った。

何よりこの頃、俺はオンラインゲームのファイナルファンタジーXIにハマりきっていた。
完全に、意識がヴァナ・ディールに飛んでいた。

そのせいもあり、テイルズオブデスティニー2は序盤ちょっとやっただけで、遊ばれなくなった。

テイルズはもう終わったんだな。
俺は自分の中で勝手にそう結論づけていた。

義務で買うけど、俺の期待しているテイルズというのはそこにはなくて、名前だけ借りてきた別物みたいなRPGになってしまったんだ。

そんなふうに、失望し始めていた。

次のテイルズはゲームキューブの「テイルズオブシンフォニア」だった。

もうこの辺になると、いつ知って、どれだけ期待して・・・っていう発売前の思い出みたいなものは何も持っていない。

だから、この辺りの思い出が薄っぺらな描写になってしまっているのはご容赦願いたい。

ああ、また出るんだ、しょうがない、買うか・・・。

そんな、お気に入りのアーティストのシングルCDを義務だけで買ってる人みたいな状態になっていた。
(※今の人にはこの感覚、分かりづらいかと思うが、俺のブログに来ている人ならわかるだろう)

ゲームを買ってきて、電源を入れる。

すると、このOPが流れだした。



「おっOPイイじゃん」

そう思わせるなにかがあった。

ゲームを始めてみると、王道RPG路線を思わせるオープニングと、雰囲気の良さがあった。

「久しくこんなRPGプレイしてなかったな」

俺は感動した。

青空と草原がいっぱい広がるフィールドマップのRPG
センスの良いキャラクタがそんな良い景色の世界を闊歩する、そんなSFC時代に当たり前にあったRPGがPS2辺りになってからいつの間にか姿を消していたのだ。

最初の印象はすごく良かった。
ゲームキューブのおかげでロードは快適だし、戦闘シーンはフルポリゴンなのに60フレームでなめらかに動く

戦闘もデスティニー2にあったあのワケワカランシステム(失礼)もなくなって、わかりやすくなってる

パーティメンバーにもなんかわからんが勝手にテイルズらしいとか言う感想を持った。
ロイドは馬鹿だし
コレットは可愛いし
リフィル先生は面白いし
クラトスは怪しいが頼りになるし

ストーリーも良く、当時はFF10のパクリとか言われていたこともあったが、俺は全く気にならなかった。
次々と魅力的なキャラクターが出てきて、そして、仲間になる。
ゲームも後半になってきているのに、このキャラも仲間になんの!?みたいな驚きがあった。

そして、みんながこのゲームのことを神(シン)フォニアと言い出し、俺もそれにあやかって神フォニア神フォニアと崇めだしたのである。

テイルズオブシンフォニアは神フォニア

神フォニア神フォニア!!
神フォニア神フォニア!!

讃え給え神フォニア 崇め給え神フォニア

俺は半月かけてじっくりとこのゲームを攻略した。
RPGにここまでのめり込んだのは、本当に久しぶりのことだったのだ。

時を経て、大学3年生
この歳にもなって、また厨二の頃のようにRPGの虜になるなんてこと、思いもよらなかった。

こうして、テイルズオブシンフォニアは思い出のゲームになったのだ。

発売したのが2003年8月29日。夏の終わりだった。

この日から、シンフォニアにハマり始め、旅を終えたのは9月の中頃だった。
もう寒くなり始めた時期だった。

当時俺は大学3年生だった。
就職活動がうまく行っていなかった。

このゲームを終えたとき、ちょうど夕方で空は薄暗がりになっていた。

俺は外を見た。

無性に不安感に駆られたのを覚えている。

ゲームとは関係ない話になりだしてしまった。
話を戻す。

「テイルズオブシンフォニア」で俺のテイルズが帰ってきたと思った。
パーティキャラクタのテイストとか、雰囲気、また、テイルズオブファンタジアにリンクした世界設定
それらがうまく結合して、初代のテイルズらしさが色濃く表現されていたのだ。

まあ、相変わらずシナリオは饒舌で喋り過ぎだなと思ったが、それがテイルズなのだから仕方がない。

これ以降のテイルズはほぼ発売日に義務的にプレイしているが、特別な感情を抱くこともなくなった。
一時期、テイルズは戦闘の2D(またはいのまたむつみ)、ストーリーの3D(または藤島康介)と言われていた時期もあった。
(2D、3Dというのは、バトルのことを指している)

巷の最高傑作は俺が知る限り「テイルズオブヴェスペリア」、「テイルズオブグレイセス」だが、
俺の中での、思い出のゲームとなっているのは。「テイルズオブファンタジア」と「テイルズオブシンフォニア」である。

その理由はここまで長々と述べてきた通りだ。
俺とテイルズの関係が、このようなものだからだ。

テイルズについてまだまだ語りたいことはたくさんあるのだが、この辺にしておく。

例えば、デスティニー2で複雑なゲームシステムになりついていけなくなったが、「テイルズオブリバース」でやっとシステムを理解して楽しんだとか、DS「テイルズオブハーツ」の戦闘も意外と面白く、やってない人は今すぐやってくれ!と言いたくなるほど面白いゲームだとか。

テイルズについて語り始めるとキリがないのでここで終わる。

もうゲームが出来なくなってきている

俺のことをよく知っている人ならわかると思うが、俺は三度の飯よりゲームが好きで、暇さえあればゲームばかりやっていた。
それはもう、他人が見たら呆れるほどゲームをやっていたものだった。

ところが、最近になって、俺はもうゲームが出来なくなってきている。

俺のゲームレビューサイトを見ると、普通にゲームやってるじゃんと思うのだろう。

だが、平常時の俺のゲームペースというのは、こんなものではなかった。
元々平日でも3時間から4時間平気でやっていたような人間だ。

それが、段々とゲームやる気力が失われていき、今となっては、空いた時間はネットやったり寝たりという有様になっていってしまった。

俺からゲームを取ったら何が残るのだろう。

答えは、何も残らない。

どうして前までゲームがやれていたのに、今はやれなくなってしまったのか?

やはり、リアルがそれだけ切迫してきているからということなのだろう。

前までは、暇さえあればゲームをやっていた。
自分でも依存症なんじゃないか?とか、そうやって思ってしまうぐらい、ゲームばかりやっていたのだ。

しかし今は、全然ゲームが出来なくなってきている。

困ったものだ。

やっているゲームがつまらないからとか、合わないからじゃないか?

そんな事も考えた。

だが、やはりゲームがつまらないとかそういうことはあまり関係がないのだろう。

病院で処方される薬のせいじゃないか?

そんな事も考えた。

しかし、これの服用を勝手にやめることは俺には出来ない。

俺は、困っている。

やはり、ゲームが出来なくなってきているのは、ゲームで他人に認められたいという欲求が
長年に渡って頑張ってきても、満たされないからではないだろうか。

ここで言いたいのは、ゲームレビューだけじゃなくてこのブログのゲーム記事もそうだし、
ゲーム配信など、ありとあらゆるゲームに関することが対象だ。

もう、俺にはなにもない。

抜け殻のようになってきてしまった。

頼む、誰か、助けてくれ!!

ゲームキューブの調子が悪くなってきている

題目のとおりだ。

読み込まないわけではないのだが、起動時にドライブから変な音が出る。
昔はならなかったような音だ(ガシャッガシャッというような音が鳴る)。

また、一度だけ読み込みに失敗して、CDを読み込まなかったことがある。

今の所、ゲームボーイプレイヤーだけ使っている状態だ。
ゲームボーイプレイヤーは起動時にディスクを読むだけで、ゲームプレイ中はドライブの回転も止まり読み込みが発生しない。

何を言いたいのかと言うと、ゲームキューブ用のゲームをやってみて、本格的にドライブを使ってみたとき、きちんと読み込まないのではないかと危惧されるのだ。

もしかするともう、俺のゲームキューブ本体は寿命を迎えているのかもしれない。

思えば、俺のゲームキューブは元々調子が悪かった。
ファンタシースターオンラインEp1&2をやっているとき、アイテムショップに移動する時に止まりそうになるほどガシャッガシャッと読み込むのだ。

一年前にゲーム配信中に動かしたときは、傷だらけのディスクでも、それなりに読み込んだので、まだ大丈夫だとは思うのだが、わからない。
(ちなみに、傷だらけのディスクはカービィのエアライドで、さすがに物凄い傷だったので、1回2回ディスクが読み込めず強制終了した)

俺のゲームキューブは、発売日から2ヶ月後に買ったものだ。
今から17年も前のものになる。
保存状態も良くなかったので、色焼けして若干だが変色してしまっている。

これが壊れたらどうしようと思う。

実はゲームキューブにも、結構な積みゲーが溜まっているのだ。

スマブラDXだったり、マリオカートダブルダッシュだったり、ビューティフルジョーだったり
有名所は抑えてあるラインナップだ。

また、手持ちのメモリーカードも、なんかバグっているらしく、空き容量があるはずなのに、無いような表示になっている。

おかしい。

メモリーカードは最悪、数百円出して買えばいいだろう。

だが、ゲームキューブ本体は今、いくらぐらいで買えるのだろうか?
安いっていう話だが...。

PS3も壊れたし、俺が持っているゲーム機が使ってもいないのにまさに次々と壊れていっている。

俺は困っている。

頼む、誰か、助けてくれ!!
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