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NINTENDO パズルコレクションをやっている。

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NINTENDO パズルコレクションをやっている。

このゲームは、ドクターマリオとヨッシーのクッキーとパネルでポンが一本になったお得なゲームだ。

このうち、ヨッシーのクッキーは遊んだことがなく、このゲームで初めて遊んだ。

ドクターマリオは懐かしい。
発売当時、近所の友達が持っていて、貸してもらってあまりに面白かったものだから、時間を忘れて夜中まで夢中になったものだ。

今は粘れば、LV20もクリアできるようになった。

しかし、ストーリーモードの難易度ノーマルでのラスボスがどうしても倒せなくて困っているのだ。

何度やっても、いいところで、負けてしまう。
なにせドクターマリオで対戦なんてやったことがないものだから、連鎖の駆け引きなんかわからず、非常に参ってしまっている。

今の所、ゲームキューブのコントローラーを使って遊んでいるが、ドクターマリオをやっている限りでは、特に不便さを感じず、遊ぶことが出来ている。
パネルでポンあたりに入ると、あの小さい十字キーだとちょっとつらいかもしれない。

パネルでポンもスーパーファミコンでかなりやった。
発売日に買ったわけではなく、2006年頃、中古ショップで買った。

実は買ったのはこっちのパズルコレクションのほうが先なのだが、あまりハマることはなかった。

このゲームに入っている「パネルでポン」も貴重である。
なぜなら、このゲームでしか遊べない3Dパネポンと、パズルモードのエディット機能がついているからだ。
俺は、パズルエディットで、自作パズルを作って楽しんで遊んでいたのをよく覚えている。

このゲームは中古でも高めに推移していたが、2004年頃のある日、近くのショッピングセンターのゲームコーナーで特売で売り出されて新品を2000円かそこらで手に入れた。

丁寧に保管していたので、今でも美品である。

実はこのゲームをやりだしたのには理由がある。

手持ちのメモリーカードのセーブ容量がいっぱいになってしまったのだ。

本当は「大乱闘スマッシュブラザーズDX」でもやろうと思っていたのだが、セーブ容量が足りなくなったのだ。

少し前のエントリで、ゲームキューブのメモリーカードが欲しくなってきているという話を書いた。
あの後、amazonのマーケットプレイスでゲームキューブのメモリーカードを買ったのだが、未だに配送されてこないのだ。

モノは、大容量の方のメモリーカード251で、値段は約800円であった。

安い買い物をしたと思っている。不良品に当たらなければの話だが。

というのも、一度マケプレで買った品物が明らかに不良品だったことがあったのだ。

それはあまりにも安いスーパーファミコンのコントローラーだった(340円)。

送りつけられた時、俺は詐欺られた気持ちになった。

その旨、出品者に伝えたら、全額返金してもらえたが。

そしてその後、別の業者の出品している590円のスーパーファミコンのコントローラーを買ったが、こちらは驚くほどの美品で、きちんと使えるコントローラーで本当にびっくりしてしまった。
勿論今もそのコントローラを大切に保管して使っている。

みなさんも、amazonのマーケットプレイスを利用して品物を買う時は、注意して買ったほうがいい。

最後になるが、最近のエントリは中身が薄くて申し訳ないと思っている。
近々、また油の乗った記事を投下したいと思っている。
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高機動幻想ガンパレード・マーチをやっている。

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今更だが、「高機動幻想 ガンパレードマーチ」をやっている。

このゲームは、全く知名度がなかったのだが(正確に言うと、そうではないのだが、以下後述する)
ネットでの口コミでどんどん有名になり、売れだした作品なのだ。

ゲーム雑誌で取り上げられたのは、「電撃プレイステーション」のみ。
ただし、電プレが大々的に猛プッシュしたために、発売前からそれなりのスポットを浴びたゲームとなった。

俺は、発売時、2000年9月当時からネットをやっていたので、目の前でこのゲームが話題になっていくのを傍目に見ていた。
とにかく、当時のガンパレードマーチへの熱量はすごくて、遊んだ人が周りの人に面白さを布教する、の伝播の広がり方(今で言う拡散)で、あっという間に当時のネット上での話題作へと成り上がっていった。

そんな、お墨付きをもらったゲームを、18年たった今、遊んでみたのだが,,,。

正直なところ、面白さが良くわからない。

クソゲーとこき下ろすつもりはない。
膨大なパラメータがあり、また、それぞれにしっかり意味があり、キャラクターなど良く作り込まれているし、世界設定なんかも良い。
セリフ、テキストも全般、質が高くて、不意に入るイベントシーンがぐっと心に来る。
戦闘シーンに入る、ポリゴンのカットシーンの質も(PS1にしては)高くて、良く出来ている。

だが、このゲームの面白さがよくわからないのである。

18年前のゲームだから、色眼鏡で見てしまっている部分があるのかもしれない。
だが、お金がなくて古いレトロゲームばかり遊んでいる自分にとって、その理論はあてにならない。

ジャンルとしては、育成/恋愛シミュレーションゲームに近く、3月4日から5月10日の期間がゲームの舞台となる。
この間、学生やりながら人類の脅威となる幻獣と戦う軍に所属して戦闘を繰り返す青春ドラマを体験できるシミュレーションゲームとなっている。

とにかくテンポが悪い。

1日の終わりにセーブができるのだが、1日が大体早くて15分、普通にやって30分位、これに幻獣戦が入ってくると45分とか長期戦になってしまうと1時間かかってしまう。

同じ軍に所属しており、かつ、学校に通っているクラスメイトたちと交流したりできるんだけど、
それ以外にも、自分が戦いのときに乗るロボットの整備とか、自分のステータスを伸ばすとか、いろんなことをしなければならない。

覚えることが多くてシステムが複雑で、何がどうなっているのかというのが1周目の段階では、良くわからない。

なにせ、説明書がものすごく分厚く、ゲーム上でのチュートリアル的シーンもかなりのボリュームとなっている。

で、このゲーム最大のアピールポイントというのが自由度の高さだ。

ゲーム中に言われた通りのことをやるのではなく、甘酸っぱい学生生活を思うがままに堪能できるのが、このゲームの最大の特徴だと、説明書にもハッキリ書かれている。

確かに、その作り込みの凄まじさの片鱗は自分も体験している。

同じロボットに乗る、芝村舞というキャラクタと、仲良くなっておくべきだと、交流を続けていたら、1ヶ月足らずで「運命の人」という人間関係になり、その後あっさりと告白された。

そうしたら、毎朝自分で弁当を作って持っていっていたのが、彼女に弁当を作ってもらえるようになり、
それ以外にも彼氏彼女の関係になると、接するときの台詞が変わったりする。

ああ、こういうイベントが全キャラに用意されているんだな、と驚愕する。

その後、二股はかけたくないからと、あまり他のキャラと交流を深めないようにしていた。

しかし、2人きりになった後の進展がない。
きっとこのゲームなら、彼女になった先のイベントシーンも用意されているだろうと思い、説明書を見る。
すると、あらゆるコマンドを手に入れるためには、色んな人と交流を深めなければ手に入らないと書いてある。

その頃になると、自分のステータスもA査定になり、ロボットの整備もする必要がないぐらいパラメータが成長していて、することがなくなっていた。

手持ち無沙汰になり、彼女一筋の生活をやめて、積極的に色んな人に声をかけていく。
すると、ボロボロと新しいコマンド(行動)が手に入っていく。

しかも、なぜか知らぬ間に何もしてないのにゲーム上に出てくる猫にやたら好かれており、
また、東原ののみというどう見ても幼稚園児みたいな子に片思いをしていた。
(第一印象で適当に入力したのだが、それのせいかもと思うのだが、自分は「運命の人」と思っていて、相手が「無関心」となっていた)
いつの間に、そんな関係になっていたのだろう?と思う。
思い当たるフシはない。

この辺りで、生真面目な優等生を演じるのも面倒くさくなってきた。

気がつけば、原泰子という女キャラクタとかなり仲良くなっており、「運命の人」間近を迎えていた。
容姿も性格も結構自分好みである。
なんかせっかくなので、交流して「運命の人」の両思いの関係になってみた。

こうやって、ゲーム上の出来事を書いていくと、楽しんでいるように思えるのかもしれないが、俺からしてみたら、なぜこうなったのか?というのが説明されないため、それらが唐突に起こり、かつ、断片的なので、面白さがやっぱりよくわからない。

自分の預かり知らぬところで勝手にゲーム上のキャラクタたちが活動して人間関係が変化して、行動も変化していくというのが、面白いのだろうけども、まだその面白さを本質的に感じることが出来ていない。

また、本職と言える幻獣戦。これがまた難解で難しいのも理由の一つだ。
ゲームとしては、ターン制のシミュレーションゲームだが、ちょっと独自要素が入っており(コマンドの先行入力)、先読みが必要でよくあるSLGとは違って、結構頭を使う。

序盤こそ、弱めの敵ばかりで、訓練で散々練習戦やらされた自分にとって楽勝楽勝と
最初の数戦は快勝だったのだが...。
日が立つに連れ、途端に出てくる敵の強さが跳ね上がり、小手先のやり方では勝てなくなり、逃げ戦ばかりになっていく。
自分の乗る機体も敵の集中攻撃を受け大破し、そしてそれを自分で修理しなければならない。
壊したとき、まっさきにうんざりしたのは俺である。
他のウォーSLGとは異なり、戦いが終わると、機体を自分で修理しなければならないのである。

きっとこの幻獣戦をうまくやらないといいエンディングが見れないんだな、と思うと焦ってくる。

所属する軍部の技術レベルを上げて強力な武器を開発したり、異動などで人事異動させたり、戦術を考えなければならないのだろうが、ハッキリ言って、なんでもかんでもプレイヤーに投げ過ぎである。自由度が高すぎて、何をどうすればよいのか、未だにわかっていない。

ある程度はゲーム上でヒントはくれるのだが、一定以上超えるとやはり自分で試行錯誤していかなければならなくなる。

しかも、過酷すぎる戦闘のせいで、戦死者が出た。
戦場で死んだ人間は二度と蘇らない。学校の日常パートでも出てこなくなる。
そう、ファイアーエムブレムそのものだ。

戦死者が出たら、みんなが不安な感情になって、学校全体が暗くなる。
全く、良くこんなところまで作り込んでいるものだ、死ぬときは本当にあっさり死んだくせに!と思う。

戦死者が出たとき、リセットしようかな?と思ったが、やめた。

一周目はあまり真のエンディングとか考えないで、成り行き任せで遊ぶのがちょうどよいゲームだと考えたからだ。

しかし、過酷に過酷を増す幻獣戦。
負け戦ばかりで、5月10日まで生き残れるのか、ちゃんとしたエンディングが拝めるのか本当に不安になる。
一周するのに、何十時間とかかるゲームを、二周三周と気軽に遊べる気力は俺にはない。

今の所、物凄い熱量を感じる革新的なゲームだという感想ではあるけども、欠点もかなり目立ち、素直に面白さを感じられないゲームと言った所だ。

うーん、こういったマニア受けする面白さを発掘できる能力が自分にはないというところがレビュアー失格なのかもなと自信をなくしてしまう。

本当かどうかわからないが、wikiの沿革では、パブリッシャのSCEは「売れる見込みのないゲーム」と判断したようだが、自分も一般性は乏しいと感じている。
(当時電プレ以外が取り上げなかったというのも、妥当な評価だと思われる)

エンディングまで日にちをすすめたとき、面白さが理解できるようになるのだろうか?
実に不安である。

SFCのスーパー桃太郎電鉄DXをやっている。

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スーパーファミコンのスーパー桃太郎電鉄DXを数日前からやっている。
なぜこんなゲームをやっているのかと言うと、昔の発売当時から気になっていたゲームだったからだ。

桃鉄はPCエンジンのスーパー桃太郎電鉄II世代で、それを散々友達ともやりまくっていて、
大変楽しんだゲームだ。
しかし、その後、中学に上がった頃から、友達とゲームで対戦するという機会がなくなり、
桃鉄を楽しめる環境がなくなってしまった。

その後出た桃鉄IIIは発売日に買ってもらったのだが、買っても友達と対戦することがなく、非常にもったいないことにCPUと遊ぶか一人で寂しく複数操作して自演プレイで遊ぶぐらいしか出来ず、そのためそれ以降発売日に買うことをやめたシリーズとなった。

しかし、桃鉄のその後の進化っぷりは気になっていて、遊んでみたかったが、遊ぶ機会自体がこれまでなかったのだ。

今回は、4人対戦で、CPU3人選んでの99年耐久戦。

CPUは、一番強い順に、えんま、あしゅら、かぐや姫の3人を選択。

桃鉄自体99年通しで遊んだことはなく、子供時代やりまくっていたといってもプレイスキルは当てになる代物ではない。
なので、1位を取れるか不安だったのだが、やはり難しかった。

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2位のももたろ社長が俺である。
前半は、とにかくあしゅらが先行して強く、もう追いつけるめどがなく、手を付けられない状態に陥っていた。

意外なことに、えんまは前半にキングボンビーに当たり、30年目までは思うように資産を形成できない展開になった。

俺は目的地の賞金目当てに、ひたすら目的地を目指す王道プレイを行ったが、
とにかくサイコロの出目が悪く、いや、CPUの出目の強さに勝てず、カードなどを駆使して
先回りしても目的地にピッタリ止まれないなど、涙をのむ展開が多く続き、なかなか成り上がることが出来ない。

それでも、貧乏神を徹底的に嫌って自分につかないようにしたことと、
駅に停車して物件を無意識に購入していたのが功を奏したのか、地味だが地道な経営を続けることで、なんとかビリは免れ、3位から2位、2位から3位といった低空飛行を続ける。

30年目辺りではもうマップ上の殆どの物件をあしゅらが牛耳る状態になり、
これはもう覆すことは無理じゃないかと思っていたとき、唐突に事件が起きた。

キングボンビーがあしゅらに取り付いたのである。

2位とは倍以上の資産差があるものの、とはいえ、まだ30年目。
キングボンビー対策出来るほどの体制が整っておらず、あしゅらはキングボンビーの餌食になった。

毎ターン、サイコロ2回振るお金を捨てる攻撃に、あっという間に借金地獄に転落し、農林物件以外の全物件をたった1ターンで手放す羽目になった。
その後、すぐに農林物件も捨てられ、あしゅら王国はあっさりと陥落する。

33年目での出来事である。
2018_0824_235425_629.jpg あしゅらが転落した瞬間


その後、かぐや姫もキングボンビーの餌食になり、順調に資産を伸ばしていたところを、借金地獄へと転落する。

事実上、えんまと俺との一騎打ち状態になる。

しかし、この時点でもう、俺はえんまとの資産で倍近い差を付けており、目的地を目指しながら空いた物件を買いすすめるぐらいしか、やることはなくなっていた。

更に物件を買い集めることで、えんまとの資産差は開いていき、俺の1位は揺るがない状態となっていった。

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持ち金もあまりはじめ、赤マスが痛くなくなるほど溜まっていき、確か52年目ぐらいには念願の桃太郎ランドも購入。
この頃の桃鉄はまだ、桃太郎ランドが200億円なので、上手い人なら30年前後には購入できそう。

俺は、そんなに上手じゃないので、52年もかかってしまったが。
ここまでやると、買う物件もなくって、持ち金が余り出すので、いくら桃太郎ランドが高額化しようと、あとは時間の問題になる。

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55年頃の状態。
いま、97年目まで突入しているのだが、最終的には物件数は330件ぐらいになった。

今回、桃鉄をCPU相手に99年初めてやってみてわかったのだが、
だいたい40年ぐらいで、目的地の賞金は魅力的じゃなくなる。
臨時収入も美味しいものじゃなくなる、というかどうでもいいものになる。
うまくいってさえいれば、自前の物件の収入だけで十分で、なおかつ、金の使い道がなくなっていく。

それで50年前後で桃太郎ランドを買えるぐらいになってくると、他の物件も埋まりだして、文字通りやることがなくなる。

とはいえ、キングボンビーの悪行はでかいので、貧乏神に憑かれないようにするために、
目的地を意識してウロウロするだけになる。

使うカードは、サイコロ複数ふれる急行系とぶっとびカード
それと、保険にブロックカード、パトカードを持ってるだけになる。

CPU相手に桃鉄やると、だいたい今まで書いてきたような展開になるんだろうか?

特に桃鉄DXは、防御系カードが強くて、金さえあればメカボンビーも思うがままに複数台所有出来て、キングボンビーも怖くなくなる。
なので、逆転がすごく難しいように感じる。

CPU相手だったら、キングボンビーでワンチャン逆転劇が出るかもしれないけど、対人戦だと、あしゅら逆転劇なんかもなかなか難しいんじゃないかと思う。

ちなみに、99年やってきて、悲しかったのは、DXの最大のウリの銀河鉄道カードを自分で手に入れることが出来なかったこと。
これは俺が独走状態になってしまったから、銀河鉄道カードが手に入りづらい状態になったんじゃないかと思う。

あと、さくまさんは否定してるけど、この頃からえんまとか強いCPUにはラッキー補正がかかっているように感じる。
序盤のあしゅらのありえない出目とか、えんまも結構いい出目が目立ってる。
特にCPUはフェリーや空港乗り場でやたらカードがもらえている。対して俺は0。
桃鉄IIと桃鉄IIIでは余り気にならなかったのだが、昔やっていたことだから自信はない。

とはいえ、今回、桃鉄DXを遊んでびっくりしたのは、桃鉄DXの時点で、こんなに桃鉄って完成してたんだという驚きである。

俺は先に、PS1の桃鉄7を触っているのだが、桃鉄DXでもう、このイベントもあのイベントも入っていて、ゲームとしての作りもベースが出来ていて、桃鉄DXをベースに作られているんだなということを再確認させられた。
俺は、桃鉄IIで完成されたゲームだと思っていたが、桃鉄DXで完成されたゲームだと認識を改めざるを得なくなった。

もちろん、今後、桃鉄シリーズはどんどん発売されていくので、その間に同じように進化していくのだろうが、残念ながら俺はPS2以降の桃鉄は全く触ったことがないので、わからない。

結論として、桃鉄は99年まで設定して遊べるけど、ゲームとしての寿命は40年50年じゃないのかなあっていうことだった。

とにもかくにも、ある程度年数が経ってしまうと、やることがなくなる。
状態も膠着化してしまうので、それを覆すことも、よほどのことがないと出来ない
(キングボンビーが連続で憑き続けるとか)

なんだかんだ書いてきたけども、それでも桃鉄はやっぱり面白い!
やっぱり気がついたら夢中になって遊んでしまう。ついつい時間を忘れてしまう部分はある。

このあと、桃鉄HAPPYも続けてプレイしようと思ったが、さすがにちょっと間をあけようと思った。
飽きるほど桃鉄DXで遊んでしまったので、連続で遊ぶのは流石にしんどい。

99年最後までプレイしきったら、結果報告として文章や画像を追加するかも。

(追記)

99年終わった。実に長かった。

2018_0828_194341_488.jpg 99年目。ここまで本当に長い戦いだった。

2018_0828_195942_520.jpg 99年限定で桃太郎キャスターから感謝の言葉。

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総資産は最後2兆8000億で終了した。
運が良かったのは後半にスリの銀次が殆ど出てこなかったこと。
攻撃系カードをブロックカードで防御していたので、妨害されることが殆どなかったのが大きい。

それにしても99年は長く疲れる戦いだった。
すぐ桃鉄HAPPYに移ろうと思ったが、ちょっと無理がある。しばらく桃鉄はやりたくないってぐらいやった。

99年のプレイ時間はどれぐらいだろう。結構飛ばしてやったせいもあるけど20時間ぐらいじゃないだろうか。結構疲れた。
これをまた次回作とかでもうワンプレイとかはすぐにはできそうにない。

たまにはゲームの話と、グレイさんへ

昨日の、ゲームのストーリーの作り方についてレスポンスをもらったので、グレイさんへの返信

プレイヤーの感情をコントロールすることとゲームのナラティブが、どう繋がるのかが結局わかりませんでした。

ナラティブって?

もともとは医学用語、文学用語なのだけども、ゲーム業界のナラティブの意味とは何か?

簡潔に書くと、ゲームプレイのリプレイ的なもの。
与えられたストーリーのことではなく、ゲーム上で起こったこと、プレイヤーが体験したことをナラティブと言う。

具体例を出そう。

真・三國無双2が分かりやすい。

操作する武将を選んで、ステージを選択
そこで、どのように攻略していくかの過程がナラティブ

A→B→C→D

と、攻略していくのか

A→C→D→B

と攻略していくかの違い

最近の三國無双は知らないから、システムがまた違ってきててややこしくなっているのでしょうが
ここでは真・三國無双2をイメージしてください

やろうと思えばいきなり敵の総大将を倒しに行けたり(大抵は強力な弓部隊に邪魔されて無理だけど)
堅実に拠点兵長を倒して増援を潰しつつ、敵数を減らしながら武将を倒す

それか、武将一点張りの一撃離脱型

色んな攻略法があるが、それ自体がナラティブ

やったことがある人ならわかってもらえると思う
無双2は、何回同じステージやっても面白いし、やる度に違う結果が返ってくる

俺がいいたいのはここまで仰々しいことじゃないかなあと。

RPGのストーリーで辛いのって、プレイヤーを置き去りにしているイベント内容のゲーム。
置き去りにされてるから、会話イベントがついていけない
その状態だといくら中身が充実していても、プレイヤーは退屈だと思うんですよ

とにかく沢山の会話イベントをいくら用意したって、このままだと上滑りを起こしてつまらない

そうさせないために、プレイヤーを気にした台詞やテキストの記述を心がけるのも大事なんじゃないか?
という話です。

自分は結構気にしてました。
例えば、苦労して倒したボスが、イベント上だとまた復活するっていうのは自分は大嫌いで
市販ゲームでも、その流れが入られると、どんなに名作でもうんざりしてしまう(ジャンル問わず)

だから、プレイヤーが倒したボスはおとなしく退場しなければならない

でも、自分のRPGでもラスボス第二形態のところは、倒しても復活って感じでしたけど…
自分が言いたいのは、ゲーム上で苦労して倒したのに、イベントで復活してイベントでトドメを刺しちゃうってのが嫌なのかもしれません

それ以外にも、前回のエントリのように意図してプレイヤーに話しかけるような台詞を入れるようにしてました。
後は、真面目な話が続いてきたら退屈になってくるなと思った時に、セクハラ選択肢を入れたり
ダンジョンクリエイターや大岩くんZみたいなギャグイベントを挟んだり

ただ、自分はどうしてもRPGが作りたいというわけではなかったので、
イベント演出のやり方はもうちょっと懲りたかったなあというのはあります
体験型のイベントを多く増やしたり(過去話、回想シーンなど)、
ただテキストイベントじゃなくて、ダンジョンで断片的にストーリーを回収させるとか、そういうことです。

おっしゃられてるように、文字ではなく絵で見せるみたいなのも、本当はもっとやりたかった

SFC時代のRPGそのまんまじゃなくて、色んなジャンルの演出作法や技法を取り入れて行きたかったのが本音です

そこは処女作だったり、PS1のRPGツクール3という限界があったので、あの水準で終わってしまいましたが。

グレイさんも、その気が向いたらゲームを作ってみては?
たぶんいきなりPCの最新ツールで、なんでも出来て容量無制限の環境でやるから、挫折するんだと思います

GBAのRPGツクールアドバンスとかどうですか
限られた環境で最高のものを作ってみようと思うほうが、ゲーマー寄りの人は燃えると思います
あれだと作成できる容量がそれほど多くないはずだし、出来ることも限られてて、どんなに凝ろうとしても限界があるはずです
PS1のRPGツクール3が本当は、なかなかいい落とし所かもしれないのですが、御存知の通り
自分はメモカ2枚を上限にしても550時間以上かかってしまったので、さすがにこれをそのまま人にもオススメはしませんw
だいぶ目も痛くしましたし

自分もそれほどRPGをどうしても作りたいってわけではなかったので(寧ろそのほうが既成概念にとらわれなくて面白いものが作れると思います)
他にいい環境があればそっちがいいと思います。

これを書くとホームラン級のバカだなと言われるかもしれません
自分は割と本気で、自分のゲームレビューサイトでRPGツクール3のレビューを書くために
真剣にRPG1本作ったと言ってもいいです
それが割と本気で原動力となってました。





で、ゲーム作り終えてしばらく燃え尽きてた頃
とにかくひたすらゲームばかりやっていた

その時その時は無駄な時間を過ごしてたなと思うけども、それなりに有意義だったんじゃないか

ずっとやっておきたいと思っていたゲームをかなりやりまくって
しかもほとんどがRPG

直前にRPGを作ってて、その後に市販のRPGを、20本かそれぐらいやってた
(主にSFCのRPGばかりやってたが、これも何か意図してやったわけじゃなくて、単なる気分)

その時は、これを血肉にしようとかそんな大それたことは考えてなかった

ただ、RPGのストーリーはこういう風になってるんだなあとか、
ゲームシステムやバランスの付け方って言うのを見て、インスピレーションを受けたってのはある

一本ゲーム作ったら、すぐ次というフリーゲーム作者が沢山いらっしゃるけども、俺はそれにはなれない

俺はそういう根っからのクリエイター気質ではないみたいだ。

飽くまでゲーム制作もゲームとしてやっているところがある

で、つぎは小説やろうとしてるのがまたちぐはぐなのだが
こうやってブログやってるのも、小説へのウォーミングアップ的な意味合いが強い

それの後はまたゲームを作る予定

本当に色んな主にSFCのRPGをやってたんだけども、それは一つ一つここで触れるのはよそう
プレイ済みのゲームは例によってゲームレビュー更新してるのでそこを読んでください

で、最後にブレスオブファイア2,3,4をやった

これについて書いて終わりたい

ブレス2は初プレイのはずだった
だけども、ところどころ既視感があることに気づく

友達の家でやっているところを当時見てた記憶もないので、完全に初見プレイのはずなのにだ

だが不思議な事に、ゲームが終盤に行けば行くほど、見覚えのあるシーンが出てくる

不思議だ
実に不思議だ

そしてそれが確信に変わったのがラスボスに立ち向かっていくシーン

「俺これみたことある!!」

俺が仰天した

変な所で

その時俺はわかった

友達の家で、発売当時友達がやっているのを俺は見てたんだ

ネットのプレイ動画をたまたま見たという線はまずない
それだったらもっと克明に覚えているはずだし、ここまで記憶が曖昧じゃない
大体俺は自分が未プレイのゲーム動画は絶対見ないようにしている

ブレス2の発売日は1994年12月2日

俺は昔の記憶を、特にゲーム関係の記憶は凄く覚えているが、
22年前、友達がやってるところをちょっとみてた程度の記憶はさすがに薄れていたようだった

ネタバレしたくないから、書かないけども、ある場所でボスが倒せなくてレベル上げしている所
全く同じことをしているのを見ていたのも、今は思い出している


次にブレス3

当時、別の友だちが楽しそうに遊んでいたのを、羨ましそうに見ていただけ
それを19年の時を経て、自分の手でプレイする

なにせ当時を知ってる人ならわかると思うが、CMだってめちゃめちゃ流れてた
だからもう俺は欲しくて欲しくてたまらなかったんだ



だが、俺は我慢した
代わりにフロントミッション2とがんばれゴエモンネオ桃山幕府のおどりを買ったんだ!!

俺は人知れず興奮していた

なんなら、やめていた実況動画を撮りながらやろうかとさえ思ったほど

いやあ、こういうの、俺は面白いと思うんだけども、ありきたりなのだろうなあ
当時は指をくわえて、見てるだけだったゲームを、19年後遊ぶわけです

と、まあ、遊ぶ前は気分が高揚してハイテンションになっていたが、ゲーム自体は結構退屈だったかも、しれない……

最後にブレス4

これは2000年4月27日に発売されたゲーム

発売日に買ってクリアまで遊んでる

が、
レビュー目的で、16年ぶりに再プレイ

こちらは、これまでと違って

懐かしすぎて涙が出た

16年たってもバトルBGMやファンファーレの音楽をちゃんと覚えてるし
なんかやたら強い姉ちゃんがいたよなあ(アースラのこと)
ぐらいの記憶しか無かったのが、ああこれこれ、という感じで思い出したり



西都側の戦闘BGMが好き



ボスBGMもかなり良いことを再発見



2000年4月27日には、3本も欲しいゲームが出て3本とも買ったんだよなあ
ゼルダのムジュラ、メタルギアゴーストバベル、ブレス4

確かブレス4は一番最後に回した気がする

ブレス4は実況動画ネタとしては良かったかなあと思うが、今やってもあまり見てもらえないんだろうな……

ブレス4は新品で買ったので、パッケージの状態はかなりいいです
説明書なんて開いてもいないピカピカの新品状態

そんな感じの私物が俺の家には山のようにあります

終わります

2004-2014 ゲームレビューサイトを運用した10年間を振り返る #2

こうやって2ページ目を作ったが、実のところ、ゲームレビュー運用を振り返ると言っても、当たり前のことながらゲームばかりやっている話しかないので、書くことなんてない。
漠然と書きたいと思っていることはあっても、ぼんやりとしているだけで、具体的な展開が思い浮かばないのだ。
というか俺以外の人にとって、ゲームレビューとかゲームに対する考え方を書いた所で、大半の人間がどうでもいいことであって、それを時間を掛けてわざわざ文章にする意味があるのかと言うところで心の葛藤が生まれている。




前回のエントリで、元々俺はヌルゲーマーで、攻略とか普通に見ながら進めるような人間だという話を書いた。
それに加えて、コンプリート欲が強くて、無駄なやりこみ要素に徹底して時間を使うような人間だった。

あまりにも完璧主義者で、くだらないことに途方も無い労力を昔は使っていた。
例えば、FF7で全員LV99、マスターマテリア全種全員分作成、ドーピングアイテム集めまくって全キャラ全ステータス255とか、そこまで極めようとする人間だった(全ステータスマックスはさすがに断念した)。

DQ3(SFC)で、4キャラ、全特技取得、全アイテムコンプ、LV99をやったりもした(2011年にデータが消えやがった)
DQ4(PS1)でもやったし、DQ7(PS1)でもやろうとしたが、メタル狩りと熟練度上げがだるすぎて途中でやめた

今もこの辺は、自制しないと、PSのトロフィーコンプとか、そういうの際限なく手をつけていく人間である。
キリがないので、クリアしたらそのゲームは終わりというふうに決めている(まだ遊びたいと思っても基本的には辞める)。

ゲームレビューをはじめてから、攻略見ながらゲームをすることをやめた。
後はクリアしたらそのゲームは辞めて、別のゲームへと移るようにした。
2004年当時は、やりこみ要素は無駄なものと言う傾向が強く、今みたいに定着していなかった。
(トロフィーとかアチーブみたいな機能は当然なかったし、やりこんだデータを自慢するみたいな文化は少数派だった)

この頃のやりこみ要素というと、もっぱら、今で言う縛りプレイやタイムアタック、リアルタイムアタック、お馬鹿プレイを意味していた。
逆に、データをコンプリートするとかカンストさせる、今の時代で言うやりこみ要素は、馬鹿がやるものという意味合いがあった
(断っておくと、少数でも、好きなゲームをやりこんでデータフルコンプを目指す人プレイスタイルはあった)


2004年から、攻略を見ないで自力でクリアするようにしていったら、ゲームが面白くなっていった。
自分で試行錯誤して進め方を探したり、探索して隠しアイテムを発見する。これが楽しかった。

ドラクエの話ばかりで申し訳ないが、ちょうど2004年11月にはドラクエ8がでた。
想定レベルより低いレベルで先へ進めると戦歴画面でトロデ王が「低レベルでボスを倒したって何も出ないぞ」みたいなことを言ってくる。

意識してなかったが、今の俺は低レベルで無理矢理進めようとしてたんだということに気づく。
(思い返すと、DQ8自体、そのメッセージが出やすい作りだったのだろうがそこまでのあざとさに気づかなかったわけだ)



そうやって、自力でクリアまで到達した時点で思ったことをコメントするのが、俺のやってきたゲームレビューのやり方だった。
自力でやるというのは、先入観をなくすために、未プレイのゲームに対する情報収集も避けることも含まれている。

2005年とかそれぐらいの時期にはまだなかったが、他人のゲームプレイ動画も見ないようにするし、他人のレビューも読まない(レビュー済みのゲームなどは読む)
世間の評判とかそういうのも、よほど社会現象で嫌でも目に付くようなものじゃなければ、基本的には見ない。
自分がプレイするときには、出来る限り新鮮な状態にしておきたいから、紹介記事とかも極力見ない。

ある種ここまで尖ったゲームレビューのやり方をしていたから、クリアまでプレイ済みであっても、情報収集不足で、間違ったことを書いてしまったり、踏み込みが甘いところがあったり、どうしてもそういう部分が出てきてしまう。
(幾つか痛恨のミスがあったのだが、すぐ思いつくのがスターオーシャン4で、ディスク入れ替えの問題は、俺のプレイスタイルでは一切確認できなかった)

自分の感性だけに頼ってコメントするというやり方をどうしても貫き通したかった。
俺のやっていることに対してクライアントがいるわけでもないし、金とか立場、損得勘定が一切入らない場所である。
そういう場所でやれることを突き詰めてやっていったのがあのゲームレビューのホームページだ。

例えばの話になるが、知り合いや顔見知りがゲーム作っていて、そのゲームをレビューするとなったら、
仮にゲーム自体に苦言を言いたいところがあっても、絶対本音を書けないだろうと思う。
俺の同級生がゲーム会社でゲームを作っているが、同窓会でそのゲームをもし紹介されたら、それを悪く言うなんてなかなか出来ない。





こんな極端なやり方をしていたから、はっきりいって叩かれることのほうが多かった。
まず、このやり方で一番気をつけなくてはならないのは、プレイヤー本人がある程度ゲームが上手でなくてはならないということだ。

ゲームレビューを始めるまで、激ヌルのゆとりゲーマーだった俺としては、初期の2,3年は、ゲームが下手くそで、難しめのゲームにもれなくキツ目のコメントをしているのが、今となっては悔やまれるところだ。
時間と機会があればぜひ直したいと思っていた。

それと、RPGばかりプレイしてて、PS2以降、三國無双など3Dアクションを全然プレイしてないので、研究不足っぷりが目立っていたのも苦しかった。

個人的には、レトロゲームが好みというか、平面処理のスプライトメインのゲーム機が好みだったため、ポリゴン主体の時代のゲームにあまり興味を持ってなかったのが痛かった。

テイルズシリーズとか、なんであんなにキツイ書き方をしているのか、今思うと結構恥ずかしいところだ。
デスティニー2の敷居の高さは今も評価は揺るがないが、テイルズオブリバースなんかは結構楽しんでたと思うのだが。
当時の俺はアクションがヘタクソで、特に3Dタイプのアクションが苦手で、ドラッグオンドラグーンとかキングダムーハツーごときでヌルめのアクションですら苦しんでいたから、俺が気持ちよくクリアできないみたいな言い方をしていて、改めて読み返すと直したくなる。

ゲームが下手だと、難しいゲームを避けたくなるし、やってみても、うまくいかなくて、冷静にゲームを見れなくなる。
これは俺が、初期の頃自分で味わったからこそ、そう感じているのである。

レビュアーはゲームが上手でなくてはならないとまでは言わないが、普通の人より少しぐらい場馴れしてるぐらいでないと、叩かれる対象になる。



クリアした時点でコメント(レビュー)を書くというスタンスだったが、もはや今の時代では、そのやり方は通用しないように思い始めていた。

今のゲームはクリアして終わりという概念が絶対ではなくなってきている。
古いゲームだとポケモンなんかエンディング時点で終わりというとちょっと違うゲームだし(俺は便宜上そこを最後としたが)
昔は、ゲームをコンプリートする(すべてのコンテンツを遊びきる)というスタイル自体が確立してなかった。

いわゆる当時のゲーマーに言わせると、不毛な作業をやって何が楽しいだ?的な
勿論ゲームの方でも、やりこみ自体が浸透してなくて、十分な面白さを提供できていなかった。だから水増しと言われていた。

今は、プレステ系だとトロフィーをコンプするとか、そういう遊び方が標準とまではいわないが、そこまでやって初めてゲームクリアしたと言えるような感じになってきている。

2013年の秋ごろからPCエンジンのゲームをやりだしたが、本体メモリ(セーブ領域)が少ないこともあって、クリアしたゲームは、別のゲームで使うために、躊躇なくデータ削除していた。
ゲームのセーブデータなんてのは、クリアまでの補助機能みたいなもので、クリア直前のデータを残しておいたってあまり意味が無いからだ。

こういう考え方が、今は通用しないように思っている。
サエーブデータを破損しないように、サーバーにアップロードしてまで保存するというプレステネットワークには、今やそんなサービスまである。

ゲームに対する考え方が大きく変わってきたように思う。

他にもゲームレビューのやり方で細かい決め事があったのだが、
・シリーズや関連作は一作目から必ず順番いプレイする
・ゲームジャンルを公平な目で見るために、古い作品から体系立てて見ていく

そんなへんてこな決まり事を色々定めながらやっていた。



それとこれまで俺は、俺のゲームレビューは人に見せるためにやってるんじゃなくて自分のためにやってるみたいな言い訳がましいことを言い続けていた。

しかしやはり、こうやって予防線を張るのではなくて、価値は読み手が決めるものだと今年になって実感した。

こういうものは、支持者がいてなんぼなのである
ありきたりなレビューだなと俺が思っても、そこに読者や支持者が沢山ついていれば、価値のあるものとなっている。

俺はこのへんの考え方が甘かったように思う。

じゃあ支持されるように努力しなかったのか?というと、最初に書いたように、俺は自分のやりたいようにやりたかったから
こびるのは絶対嫌だった。

仮にこの10年のどこかで、結果を求めて読者に媚びようと方針転換したら、今の俺はなかったと思う。
成長したかどうかはわからないが、ストイックにやり続けた結果の今の俺と、成果を求めて媚びていった俺では全く違うものになっていったと思う。



2007年4月に俺は、ゲーム配信を始めた。
最初の数回はびっくりするほど見る人がいなかったが、ある日を境に夜中の2時3時に100人を超える人が見に来て盛り上がるゲーム配信ができるようになった。

俺はこの時、ゲームレビュー開始から3年が過ぎたこの時、
ゲーム配信があまりに面白かったために、ゲームレビューをやめようと何度も思った。

御存知の通り、ゲームレビュー続けてたって文句言われるばかりだし、閲覧者が沢山いたわけでもない
お察し状態の有様だ。

そんなものを意固地に持ち続けるより、ゲームやりながらみんなで楽しく盛り上がる動画配信をしている方がずっと建設的で有意義だと思い始めていた。

この時もまだフリーターで実家ぐらしだったから、親が寝静まる夜中の1時過ぎとかにならないと動画配信はやれずつらい生活だった。
それでも週2,3回は完徹してゲーム配信をやって楽しんでいた。

俺自身、根暗で暗い人間だったから、俺の配信で人が集まってきて盛り上がるなんてことがあるとは思わなかった。

しかし、こんな成果のあった動画配信も、俺は最終的に手放してしまった。

まあもう動画配信を今更戻ってきてやった所で、競争率の凄まじく高い世界で俺はやっていける自信はない。
だからやるつもりもない。



最後になる。

ゲームレビューのページを見せて、ライターの仕事の誘いなんかも頂いたが、なんだかんだいって全部ダメになった。

前にちらっと書いたが、欲しがる人が誰もいなかろうと、俺は自分のゲームレビューのページを記念に自費出版で書籍化したいとか言う夢を諦めてない。

本屋で売りだすとかそういうんじゃなくて、単純に記念に製本して自分の手元に置くという意味だ。

まああとは、このまんまただ野垂れ死ぬか、その前に、色んな所に手当たり次第、ゲームレビューのページとこのブログを送りつけて、自分を売名することを考えてる

どうせ、もう失うものは何もない身だ。
最後に暴れるだけ暴れて消えていこうと思っている。

もう俺の貯金は40万を切った
9月末で終わった寿命
まだ生き続けることはできるが、ここらへんが潮時だと思っている
貯金が0になるまでは生きれるだろうが、自分が定めた締め切りを優先すべきだと考えている

2004-2014 ゲームレビューサイトを運用した10年間を振り返る

2004年4月からはじめ、2014年4月で終了したゲームレビューのHP。
運用してきた10年間の歴史を思い出して行きたい

その前にまず、俺のゲームの買い方とか価値観的な話を書く。
俺のゲームの買い方というのは非常に義理堅くて、特にスクウェアソフトのゲームは発売日に全部買っていた。
後は独立直後から注目してたトライエースのゲームも。
面白そうなものをホイホイ買うのではなく、作っている人に興味があった。

これは特別、俺だけではないと思っているが、
高校に入ってからは学校やバイトで忙しくなり、ゲーム以外のことにも興味を持ち始めたため、
ゲームを馬鹿みたいにクリアまでやり込むというよりは、どういうふうに動かしているのか?という技術的なところへの興味が強かった。
だから、発売日に買ってきてもクリアまで一心不乱に夢中になるというより、ロードのシークタイムとかテクスチャの貼り方
そういうのを間近で見れればいい程度のプレイスタイルで、熱心にゲーム自体をやることは減っていた。

中学時代、俺をいじめてきた友達もそんな感じだったし、別に特別なことだとは思ってない。
ただその友達はソニー信者過ぎるところがあって、ものを公平に見れてないところがあったが。
その友達はナムコのゲームに目がなくて、やたらナムコゲーを買いあさっていた。

ちょうど西暦に直すと1997年-2000年といったところだ。
PS1の全盛期で、コンシューマ機自体が技術の頂点にあった時代だから、別に珍しいことじゃない。

中学校時代ほど、力入れてゲームやる余力も無かったから、雑誌の攻略ページや攻略本見ながら、クリアするみたいな完璧なヌルゲーマーだった。

スクウェアのゲームを全部買っていたという理由を合理的に説明しろと言われても、未だに自分でもよくわかっていない。
行為自体は信者そのものだが、信仰心が強かったわけでもないし、
どちらかと言うと、ゲーム自体の質は、当時は任天堂が圧倒的に上だと思ってたから、純粋に欲しいと思っていたゲームも64のゲームに集中してた。
ただ、64のゲームは高かったから、中々手を出しづらいところがあった(PS1の相場が5800円で、64が6800円で1000円高かった)

SFC時代のスクウェアは最強のRPG屋だったからかもしれない。
FF6の映像と見せ方に感動し、ライブアライブのストーリーテリングに酔狂した。
フロントミッション、クロノトリガー、聖剣伝説3、ロマサガ3、と出すもの出すものが百発百中という感じだった
(その後のバハムートラグーンやガンハザードなどからガクッと質が落ちるのだが)

スクウェアがPS1に参入してから、今では信じられないだろうがマニアを中心に途端に評判が悪くなった。
任天堂信者が暴れてたとかじゃなくて、PS1時代に入ってから、会社の規模を急拡大し始めて、色んな事に手を出したことで、『文句を言われるような隙のある製品』が増えてきたからだ。

FFTなんて、クエストからチームを引きぬいた!とかで偉い言われようだった。
後にチョコボの不思議なダンジョンを出したことで、他社のゲームを平気でパクる最低企業とか言われてた。

今でこそ名作扱いされているが、サガフロンティアの1と2も不評の嵐だった。
1は『フリーシナリオじゃないサガはサガと名乗るな!』と前評判が悪く、内臓フォントの色付きテキストが安っぽく見えたのか、つまんなそうとか平気で言われてた(本屋のゲーム雑誌コーナーにて)。
2も2で、『イトケンのBGMじゃない!!』とか、ロード長い、ストーリー重視がサガっぽくないとか、さんざん叩かれていた。

クロノクロスも名作を汚すな!!とか発売前から凄い言われようだった。

まあ、それでもPS1のスクウェアといえるほど、質の高い時代だったと思う。
8割以上のタイトルが有名で、今挙げたゲームも大半が名作扱いを受けている。

UIがいいっていうよりも、ゲームを面白そうに見せる絵作りがうまかった。
だからそれに騙されて買うというか、釣られて買ったら好みの内容じゃなくて「売り逃げ企業」とか言われるのだが。

例えば、1997年当時、まだ少なかったフルポリゴンのフィールドとスプライトキャラのRPG。
有名所だと「ゼノギアス」と「ブレスオブファイア3」それと、「グランディア」があった。
「ブレス3」は自分でプレーしたことがないので省くとして、
「グランディア」は、ゲームアーツの大作RPGで、スプライトのドットやマップのテクスチャーなんかがすごく丁寧に作りこまれていた。
しかし、テキストのフォントが実にゲームっぽくてダサくていかにもゲーム好き向けの「セガサターン」みたいな空気を出してた(好きな人には申し訳ない物言いだが)
戦闘シーンも面白いが、ごちゃついてて小さい文字フォントが潰れてたり、まあゲームが面白いつまらないは別としてそういうところが弱かった。

「ゼノギアス」はこの辺の絵作りがうまかった。
メッセージフォントは白抜きの青縁取りで横に顔グラをつけていて見栄えがよく、陳腐にうつりがちな半透明ウィンドウを綺麗に料理していた。

たかがゲームのフォントデザインだの画面設計に細かいことをごちゃごちゃ言うなって話だが、
結局ゲームを買う、興味をもつきっかけになるのは、雑誌やサイトで見れるゲーム画面で第一印象が決まるわけで、
そういうのが得意か下手かというのは結構重要な線となる。
1999年3月に出たコナミのサイレントヒルなんて、字幕がPS1の内蔵フォントだったせいで俺は完全に興味をなくした。たったそれだけで。
そのスクショを雑誌で見た時に、反射的に『ホラーゲームなのに雰囲気作りに力入れてないんだな』と感じ取ってしまったからだ。

そこまで勝手に思い込む奴は俺ぐらいなのだが、画面見て印象悪くさせるような絵作りしかできないのも、それはまずい。
(フォローするわけじゃなく名誉のために断っておくが、発売から10年後にやってみたらサイレントヒルはしっかり面白かった)

反対に、フロントミッション2とFFTの2つは、本当に同じ会社から同時期に作ってたSLGか!?とおもうほど落差がひどかった。

それはともかく、「アインハンダー」「デュープリズム」「アナザー・マインド」「双界儀」「レーシングラグーン」等
どちらかと言うと無名でマイナーなゲームのほうが面白いものが多かった。

そんなスクウェアだが、PS2に入った途端、一気に凋落する。
レースゲームやら、野球ゲーム、プロレスゲームで食いつなごうとしたのだが、どれも本当にひどい出来
そのあとエニックスと合併してスクエニになるが、俺から言わせると合併する前からスクウェアという会社は終わっていた。

FF10にはまだPS1時代の技術の片鱗が見えていたが、それ以降は突出した部分のないただの大手企業になってしまった。

FF11は技術的にはすごさを感じたが、当時のMMORPGはマゾが当たり前で、とてもじゃないがついていけるレベルじゃなかった。
お気に入りの第三開発(クロノトリガー/ゼノギアス/デュープリズム/クロノクロス)のスタッフ制作だから付き合っていただけで、そうじゃなかったらすぐやめていた。

スクエニという会社になってからのことは、もう俺がここでわざわざ1から語るほどのことはない。

すっかりFFとDQとキングダムハーツだけの会社になってしまったなあということだ。

2009年12月にFF13を買ってやった時、一企業としての作風とか技術ノウハウみたいなものはほとんど消滅してしまったんだと肌で感じた。

どうしようもないクソゲーもあったが、コールオブデューティとかヒットマンとか洋ゲーの接点のなかった俺が色々面白さに触れる機会があった
FFXIでネットゲームに拒絶反応を示して、絶対やるまいと思っていたが、DQXやFFXIVをしぶしぶでもやってみて、
今のMMORPGは昔みたいなマゾ仕様ではないことがわかった。

ここまでの話は、実は公表しようかどうか、書いてる途中も書き終えてからも、存分に迷った話だ。
まあでも、ゲームレビューのホームページやってるときに「どうしてスクエニのゲームばかり取り上げるの?」と言う
質問も来たことがあるし、それについて明確な回答が以上のとおりとなる。

一言で言うなら「特にはっきりとした理由はない」という回答になる。
別にスクエニからリベートもらってるわけでもなんか契約してるわけでもなんでもないし、本当に何も意味は無い。
意味を付けようとこれを見た人が、あと付けでごちゃごちゃ理由をつけようとしたがるかもしれないが、それには責任は持てないということで、公表することにした。

他のRPG屋だと、日本ファルコムとか、アトラスは、ゲーム業界内では大手だけど、
会社をここまで巨大化しようとはしなかったから、今もほそぼそと老舗のRPG屋として続いていて
こういう根強いファンがいるだろうとおもう。
たまにウィキペディアなんかみたら、ファルコムゲーは、内製のやつしか認めないみたいな執筆者が露骨にいて
他社の移植作品ばかりやってた俺は「ファルコムって愛されてるなあ」って笑ってしまう。
ファルコムブランドで内製か、ファルコムが公式に認めたもの以外は亜種扱いされてるのが凄い。
というか亜種扱い出来るのが凄い。

で。
金がなくなってゲームレビューをやめた時点で、俺はゲームを買うこともやめた。

それが2014年4月。
ちょうどゲームレビューを初めて10年経った時であった。




2004年4月から俺はゲームレビューのホームページをはじめた。
大学を卒業して就職浪人になり、焦った俺はなにかやらないとと思って始めたのがゲームレビューだった。

この時おれは、あまりに悩みすぎて円形脱毛症にまでなっていた。

最初の2,3年は、ちゃんとしたレビューすら書けていなかった。
まあ10年やってもって感じだが。

まず、自分でゲームレビュー始める前に、とても感銘を受けたゲームレビューのページがあった。
ネット上の大半のゲームレビューが、自分の好きなことを書いているだけなのに対し、
ゲーム雑誌とかでも最近はめったに見られない、ゲームそのものを真剣に、真っ向から分析しているレビューであった。
その人は、絵もかき、ゲームも作り、プログラムなどの知識もある。
だから、技術面での言及もきちんと説得力があり、ゲームレビュー以外の、ゲームに関するコラム、考察なども書いており、非常に納得させられる内容となっていた。
俺はこの人を目指して、手本として頑張ってきたが、10年頑張っても、足元にも及ばない。

だが俺には、この時点で、物を教えてくれる師匠のような存在がいなくて、全部自分の力でやらなければならなかった。
逆に言うと、自分の力でやれるところまでやるしかなかったのである。

ゲームレビューをはじめて1年後の2005年4月。
適当に書いた駄文ではなく、時間を掛けてしっかりゲームレビューを書いていこうと決める。
それともう一つ、発売日に買ったゲームは投げ出さずにクリアと位置づけられてるところまではしっかりやろうと決めた。

たかがゲームの遊びといっても、投げ出さずしっかりやり切るというのも、簡単なようで案外難しいことで。
フリーターだから金銭的にも辛くて、そこから新作ゲームを買う資金を捻出することも大変だった。




後、今だから、こういうことをさらけ出そうと思うが。
なぜここまでゲームに入れこむか、決定的な出来事があったりもした。

PS2とPS3
発売日に入手するのは本当に困難だった。
この2つに関しては、努力すれば手に入るという次元を超えていた。

PS2。予約すらできなかった。
しかし2000年3月4日の朝。電話がかかってくる。
いつもゲームを買いに行っている近くのゲーム屋からだった。

「PS2入荷したのでご来店お待ちしてます。」

わけが分からなかった。

予約しようとして、無理ですと言われて素直に諦めた
なのに、当日になって俺のぶんを確保してくれたというのだ。

高校生の分際で、ゲームショップでVIP待遇を受ける俺は何なのだろうという感じだ。

PS3。
PS2の時、粋なはからいをしてくれたゲームショップはもう潰れてて無い。だからサプライズも期待できない。
PS2の時以上に、発売日購入は無理そうだった。
どこいっても、予約すら拒否しますという張り紙が貼っていた。
2006年11月11日。予約できずに発売日を迎えた。
近所のとあるゲームショップでは、入荷台数の目安と当日販売のみという張り紙がされていて、
発売日の朝、朝刊配達を終わらせた朝5時半にそこへ並びに向かった。
しかしもう、11月上旬の糞寒い中、入口の前を占拠して毛布にくるまってるいかにもオタクっぽい集団が既にいた。

近寄ると
「あーあーもう無理ですPS3はここの人たちで」

先頭の人が俺を止めに入ってきた。

その後も、まだ暗い早朝に色々回ってみるが、当日抽選販売をするというヤマダ電機以外は脈がなさそうだった。

しょうがないので、そこのヤマダ電機で、抽選販売にダメ元で応募しに行く。
そしたら、抽選販売に申し込みする人だけでも、山のような人だかりで、俺はもう無理だなと思った。
どうせ駄目だから倍率の高い60GのPS3にしようと、半ば投げやりな状態で応募した。

そして抽選発表が貼りだされる夕方17時過ぎに一応確認しに行く。
この日のことは未だに覚えていて、どうせ当たらないから腹いせに近くのリサイクルショップでレトロゲームでも買おう、そのついでに見に行こうというノリだった。

そしたら、なんとあたっていた・・・・!!!

60GのPS3の購入権を見事引き当てていた!!!

とはいえ、この頃も相変わらず極貧フリーター生活。
近くの郵便局のATMで7万円を引き出し、PS3とリッジレーサー7で6万4千円を現金一括払いで買った。

なんというゲーム運と当時は運命を感じたものだが。
まあ種を明かせば、このヤマダ電機で一番新作ゲームを買ってて、ポイントカードも登録して購入してたから、
お得意様から優先的に当たるような抽選方法を取っていたんだろうと思われる。
(この時どうやって抽選してたのかの方法は今となってはわからない。
ただ、店側としても購入権を抽選するといっても、確実に買ってくれる人を当てたいはずだから、顧客情報を見て当選を決めてた可能性は高い)

そんなわけで、こんなくだらない出来事があって、俺はゲームに関して何か運命線のようなものを当時感じた。
今思うと、馬鹿馬鹿しい思考性でしかないのだが、当時は、そうやって勘違いして舞い上がってしまうような出来事だった。

他のゲーム機も発売日購入はそれなりに難しかったのだが
基本的に予約解禁日をマメにチェックしてれば、まあそんなに大変なものではなかった




久しぶりに長文を書いて疲れてしまった
このテーマの話は次回に回したいとおもう

FF11無料期間でやったこと感じたこと

実はこれの記事を書く前に、結構時間をかけて今のFF11の実態とかを丁寧にレポートしたものを
途中まで書いたのだが、そんなもの他の有名所がやってるだろうし、俺が労力使ってまでやることじゃないと思ったので、素直にやったことと感じたことを書くことにした。

☆FF11は思い入れの強いゲームだ
前にも書いたが、俺はFF11全盛期にプレイしており、なおかつMMORPG初体験というゲームだった。
2013年12月フェイスとエミネンスレコードが追加された時点で、俺はFF11をやりたくてやりたくてたまらなかった。

それまでのFF11は遊びたくても何をやるにもパーティ組まないと不便。
俺がやってた頃(2002年から2003年)と比べれば遊べなくもないレベルにまで改善されたのだろうが、それでも一人だと色々と不自由で肩身の狭いものだった。

リア友で遊ぶやつでもいれば、だいぶやりやすくなるのだろうが、そうでもない人からしたら辛いゲームだ。

それが、フェイスとエミネンスレコードが追加されてから、ソロでも擬似4人パーティを組んで戦えるし、
経験値稼ぎのつまらなさをエミネンスレコードのおかげで、だいぶ効率よく稼げるようになった。

フェイスは、簡単に言うとDQ10のサポートのアレに近い。
エミネンスレコードというのは、PS3でトロフィー集めというか、アチーブ集めみたいなのに近い
条件をクリアすると初回のみ報酬アイテム(装備)がもらえて、それと経験値がもらえる。
繰り返し出来る項目もあって、簡単に達成できる項目を何度もやると沢山経験値ボーナスが得られる


エミネンスレコードはただのアチーブ集めで終わってなくて、一定項目クリアするとボーナスクエスト(シナリオ)が発生したりする。
それと、報酬の装備品を集めていくと、一々自前で装備品を買い集める必要がなくて、複数ジョブのレベル上げも楽になってて、装備品不足になったりもしない。

☆競売を見て驚く

いま、競売が競売として機能してなくて、競売にはほとんどアイテムが出品されてない。
全盛期やってた人ならびっくりするレベルだと思う。
素材を出品しても、中々売れない。敵が落とした魔法スクロールも同様。
ただ、ギルのインフレがすごく、運良く競売で売れると素材なら1個1000G、魔法スクロールなら1万から3万以上で売れる。
しかし一部アイテム以外、需要がないので、履歴見ても1年前のものが残ってたりする閑散っぷり。
出品しても売れないので、基本ドロップ品は店に売る。

この状態で困るのは、競売で揃えられる装備品が手に入らない
クエストアイテムも流通してないから、競売使えば簡単にクリアできるものも自分で用意しなければならないこと
競売でお金稼ぎが出来ないので、店売りでちまちま稼ぐのが基本になっている

この文章を書いてる時、昔、ウィンダスの戦績装備の帯剣を交換して10万Gだかそれぐらいの相場で出品してお金稼ぎしていたのを思い出して、今の状況と比べて泣けてきた。


☆気軽に冒険できるのが嬉しい
当たり前の話だが、昔のFF11ではこの当たり前も出来なかったのだ
少なくとも、俺がやってた時代はそうだった。

絡んでくる敵はソロではさばけないので、絡まなくなるレベルまで上げてからじゃないと、行動範囲が広がらない。
格下の相手、「楽な相手だ」に、楽に殺されるという矛盾した時代だった

それが今、フェイスを使うことで当たり前にできる
アトルガン地方や過去世界をこの無料期間で“探検”できたのが何より嬉しかった


昔はソロで行動する場合、スニークインビジ、通称インスニをかけて透明になることで、敵の目を逃れて行動していたのだが、
このメタルギアプレイがなんとも冒険している感が無く、ごちそうを目の前に指をくわえるだけという感じでつまらなかった

それでもインスニは、昔は効果が切れる時間が完全ランダムで、かけ直しするときは敵のいない所でしなければならず、
殺されれば経験値を大幅に取られることもあって、これはこれで緊張感のある冒険ではあった


今は死んでも経験値ロストは殆ど無いし、フェイスパーティのおかげで、適正レベルのマップなら全滅の危険がなく自由に冒険できるようになった。

絡んでくる敵は今も昔もうざいのはかわらないので
結局インスニ常備ではある


1人ではクリアが難しかったクエストも、今ならクリアが出来るようになっている。
昔は、クリアしても意味のないクエストは、人の手を煩わせるだけだからと放置されがちであった。
ソロでやれることが広がっているので、自分がやりたいと思ったことを大体実現できる。

クエストは、限界突破クエとアーティファクト取得クエぐらい
ミッションはメインストーリーということもあって、募集は頻繁にあった。
それ以外の人数必須のクエストはフレンドかリンクシェルの人らで暇で話のタネ程度で行くか行かないか程度の代物に成り果てていた。

☆遊びきれないほど膨大なクエスト、ストーリーがあるのだが
歴史あるゲームだけあって、クエストとストーリーのボリュームだけは凄まじい物がある。
世界も馬鹿みたいに広くて複雑でエリアの数は途方もなく、圧倒されるほどの広大さである

※ただし最初からこんな壮大な世界だったわけじゃない(俺がやってた頃は現在の1/5程度)

クエストもミッション(メインシナリオ)も、どこで受けられるか教えてくれないから自分で探さなければならない
条件を満たしても受けられるようになったかは教えてくれない。

また、仮にクエストを受けても、クエストリストの概要の説明文は進行のあてにならない
NPCも、次に何をしなければならないかを“具体的に”教えてくれないので自分で考えなければならない不親切な部分がかなり多い。

例)「○○というアイテムを持ってきて欲しい」→アイテム名を示すだけで、どこで手に入れられるのかは教えてくれない
例2)イベントシーンから次に何をするか予測しなければならないパターン→しかし遠回しすぎて何をすべきかわからない
例3)○○洞窟に行ったようだ→洞窟のどこにいるのかまでは教えてくれない


最悪のパターンとして、クエストリストにもヒントがなく、NPCは一度しかやることを言わず、2回目以降話しかけても何をすべきか話してくれないクエスト

こういうクエストがいくつかあり、クエを破棄して受け直す事もできないので、攻略サイトなどを見るなりしないと完全にハマるものがある

☆俺は結局攻略サイトを見ないで無料期間を過ごした
クエスト進行のテキストが不親切過ぎたり、システム的に不便なところが多く、とてもじゃないが攻略サイトでも見ながらやらないと遊べたものではない

だが、俺は敢えて無料期間は攻略を見ずに試行錯誤した

クエスト関係の不便さ
→NPCの会話はメモ帳にメモすれば良い
→クエストの発生しているNPCに地図でマーキングすると便利(ただマーキング出来る数が少なく足りなくなる街がある)

ファミコン時代のゲームかというタ○トシのツッコミが鋭いが、これだけでも「わからないことがわからない」状態が改善される。
それでも、ヒントの渋いクソクエストがあるため、自力での攻略は難しいが。

もっと具体的に何をすべきかヒントを与えるヨにしろとも思った。
だが、ヒントを与えすぎてサクサククリア出来ても、それはそれで作業になるし難しいなと思った。

俺は攻略見ないで自力でやろうとした
そしたら、どうしたら先に進めるのか自分で考える。試行錯誤する
例えば、ジラートミッションを進めようと思った。
「ウガレピ寺院ってどうやって行くんだ?」←ここから始まる
「中入ったけどどこ行ったら先に進むんだ?」
こうやって地図片手に寺院というダンジョンの中をウロウロする
敵に絡まれる→戦う
この一連の流れが実に冒険している感に満ちているのだ


久しぶりのプレイすぎて忘れていることが多く、わからないことがわからない
ゲームやってんのに、つらい、苦しいという気持ちになる

だが、俺はわからないことをわかろうとする

最悪だったのは、ウィンダスミッション6-1であった。
最初行く場所は覚えていたが、フェイス使って湧いた大量のイベントモンスターを倒したのはいいが
その後のイベントシーンが会話もなく意味不明で、どうすれば進むのかがわからなくなる

町に戻って聞き込みを始める
それっぽいNPCがこんなことを言う
「ホルトト遺跡の中央塔に行きましたよ」

俺「それってさっき行ったホルトト遺跡とは違うホルトト遺跡か?」

こんな訳の分からない状況が発生する!
(たぶんFF11知らない人には意味の分からない会話になってると思うw)

一連のやりとりははっきりいって無駄な時間を過ごしている
攻略サイト見れば一発で状況把握できることだ
これをやっている間の俺は、物凄くイライラしてて「おいこの辺いい加減なおせや」
なんて思ってた
(でも俺も年食ったからあまり感情的にはならなくなったw)
でもわかった時が快感なのだ
「あっそういえば中央塔なんて10年前に行ったな」という風に

(FF11のマップ構造は複雑で出入口が複数箇所あったり複雑につながり合ってる場合が多い)

☆こんなかんじで遊んでいたので
ゲーム的には、ほとんど進まなかった。

所属国ミッションは、6-1の「満月の泉」を超時間を掛けてクリアしたけど6-2のボスフィールドはフェイス未対応でクリアできなかった
ジラートミッションは、ウガレピ寺院のどこへいけば先へ進むのかわからず挫折
アトルガンミッションが1つ前に進んだだけ

あっちこっちフラフラしてるだけで、この一週間でLV64からLV69まで上がったのだから今のFF11は凄いと思う
ほとんどエミネンスレコードの経験値報酬だけで上がった。
フィールドで釣りしたり、採集ちょっとするだけで500EXPもらえたりするから凄い(NEXTは28000ぐらい)

必死にレベル上げしなかったのも理由があって、限界突破クエのクリア方法がわからなかったから

LV70の限界クエスト
偉大なる白魔道士の証を持ってこいと言う
“それ”はどこで手に入るんだ!?っていう!!
偉大なる赤魔道士の証は偶然とれたけど…


さすがにこれは直して欲しい(FF11のクエストは基本的にこういうノリ)
あと「ひとりでできる?」の糞バランスが放置されてるってのはどうなんだ?あれは誰がやるんだ…

FF11のサービスは後長くて数年で終わるだろう
結局、部外者からはFF11の運営をどうするつもりなのかなんてのはわからないから憶測で語るしか無い
現実的に考えて、FF11が遊べる期間はもうそんなに長くはないと思う
かといってここからの拡張ディスクの発売とかPS4進出!!もありえるかもしれないが

今5000円かそこらで拡張パック全部入ったやつが買えたはず。
色々時代遅れで古臭く理不尽なゲームだが、ボリュームだけは物凄い


まあ、この辺は付き合いきれねーなーと思ったら、攻略サイトという手もある

色々歴史的に影響を与えたというか
口が腐っても今の状況では良ゲーとはいえないのだが
何しろ12年前のゲームで、目をつぶってあげなきゃいけない部分が非常に多い
だが、DQ10のルーツになっていたり、FF11をやるとなんでFF14があんな感じのゲームになったのかとかがわかる。
間違っても今の時代、素直に人に薦められるゲームではない
だが、なにか物凄いフロンティアスピリッツを感じられるところはあると思う(かもしれれない)
そういうのに興味がある人はやってみてもいいかもしれない


☆プレイ開始後やっておくべきこと
・キーボードのpagedownでカメラを限界まで引く(デフォルトは寄りすぎて視界が悪すぎる)
・コンフィグのウィンドウエフェクトをOFFにする(レスポンスが飛躍的に上がる)
・チャットフィルターを確認、チャットのyellをON(範囲シャウト)
・12年ぶりのプレイで感じたのは戦闘中にマクロに頼り過ぎないほうがいいかも
よく使う魔法やアビリティを並び替えで1ページ目に持ってきて、コマンドから選んだほうがいいきがする

素人のゲームデザイン考(3):シミュレーターとしてのゲーム

沢山ゲームレビューしてきたというが、どういったところを見ていたのかというのを、最近文章化出来る目処が付いた。
それをシリーズ化して、いくつか記していきたいと思う。

なお、断っておきたいのは、筆者は、ゲーム技術者でもなければ、ゲーム開発に携わったこともなく、これといった勉強もしたことがないズブの素人だ。
ただ異常な数のゲームを体験してきて、その上での考察であることを断っておきたい。

☆なぜゲームなのか
以前ゲームへ強い興味をもった原因を紐解いていく!!といった記事を書いた。
ここではただゲームへ惹かれていったキッカケをアホっぽく描いているだけだ。

ゲームの面白さをブラックボックスにしてはいけないという
強い思いが、沢山のゲームを触れさせる原動力になったのだと思う。


売れた売れないじゃなく、なぜ売れたなぜ売れないじゃなく
どう面白い?どう楽しい?どうつまらない?という見方


これを解明するには、ただひたすら沢山のゲームをやっていくのが手っ取り早い。
ただし、これは最適解ではないことを付け加えておく。

やはり、他の娯楽、映画、ドラマ、演劇など人並み程度に体験しつつゲーム
それも作り手に回ることなどが必要だが、理想的に時間を使うことは現実的に不可能。

☆良いゲームの共通点
出来の良いゲームとかそういう優劣をはっきり付けるような書き方はあまりしたくないのだが、とりあえず。

面白い!!と思った、のめり込んでいくゲームというのはジャンルを問わず大体決まった共通点がある。

シミュレーターとして優秀であること。

イマイチ、ピンと来ないフレーズだとは思うのだが、ゲームバランスが良い、ゲームシステムが画期的とかそういうことは、
だいたい全て、シミュレーターとして優秀であるという一言に集約されていく。

つまり、画面の向こう側の世界がしっかり出来ていて面白いということである。

どんなゲームでも良いが、プログラムの世界でどのように表現するかというのが、ゲームの設計、仕様。
プログラムを使って何を表現するかというのが、ゲームの企画書に当たる。
※実際は企画書と設計と仕様はワンセット。

そして作りたいゲームの枠組みを決めていくわけだが、架空の世界だからこそリアリティを演出することでより説得力が出てくる。価値が出てくる。

ゲームはプログラムの世界だから、数字が全てを支配してる。数値と計算式で世界が表現される。
早い話、ここに説得力がないと、上滑りを起こすだけになってしまう

うまく説明できなくてもどかしいのだが、現実世界のシチュエーションをいかにうまくシステム化して再現できるか?がキモとなっている。

有名な成功例としては、実況パワフルプロ野球のミートカーソルが挙げられる。

それまで野球ゲームは、ピッチャーが投げたボールのタイミングに合わせてバットをワンボタンで振るという簡素なものだった。
駆け引きは直球のスピードボールか、直前で球が折れて下に落ちてしまい絶対にバットに当たらないボール球の2種類だけ。
時代も時代だったから、所詮ファミコンゲームの再現度なんてこんなものだよなという認識レベルだった。
(それでもそれで商売になった時代なのだから今振り返ると凄いと思う)


パワプロのミートカーソルは、バッターとピッチャーの駆け引きがかなりリアルに再現されたものと言える。
少なくともそれまでの旧世代の野球ゲームと比べると大幅にリアルになったし面白くなったのは紛れもない事実としてある。

☆ここで一つ理論に穴が…
現実世界のシチュエーションをいかにうまくシステム化して再現できるか?とはいうものの、実際問題、大半のゲームは現実では起こりえない、言い換えると、不謹慎なシチュエーションが大半を占めている。
アクションゲーム、シューティング、戦争SLG、ロールプレイングなど、多くは非現実で空想の世界を舞台としていることが多い。

敢えて現実世界と書いたのは、次の理由がある。

現実世界からネタを拾ってきてシミュレート(再現)したほうが
面白いものがゴロゴロしているから


シミュレーターという言葉を使っているのは、ここに理由がある。
架空の世界とはいえ、そこに感情移入したり夢中にさせるためには、どこか現実世界を感じさせるものがなければいけない。
お前はゲームのやり過ぎて頭がおかしくなったのかと言われるかもしれないが、以下の文。
現実の世界は、当たり前のことだが、色んな決まり事があって、成り立っている。
物理法則とか法律。人間の学習機能とかそういうものを、ゲームでうまく落としこんで再現されると、妙な納得感がある。

実際、洋ゲーと言われる海外で作られるゲームというのは、昔からリアリティをかなり強く意識してゲーム作りされている。

RPGだと、昔はパーティキャラに年齢というパラメータがあり、現実と同じように歳を取り寿命を迎えると死ぬという
今でこそこういう仕組みは淘汰されていったが、こんなせっかく思い入れの出来たキャラをあっさりシステムで殺すという非常に強いストレスを感じる要素まで現実世界に忠実に再現されていた。

ゲームの都合でマップが区切られて、エリアチェンジするというのもおかしい。だから世界のすべてを1枚のマップに統合したオープンワールドにしよう

海外ゲームの発想は基本的に、現実世界に忠実でリアリティを重視していて、それを技術で、力業で実現させるというところにパワーの源泉がある。

☆それでもゲームは沢山やってる方がいいという根拠について
ネタ探しを現実世界でするのなら、ゲームを知らなくてもやらなくてもゲーム作りは出来るんじゃないかという話になる。

半分YESで半分NOである。

知らなくてもやってやれないことはないが、やっぱり沢山ゲームやって色々なゲームを知っていた方がいい。

例えば、何かゲーム作りのアイディアがあって、それを具体的に形にする時、
既に似たようなもの、参考になるものが、既に先人によって作られたゲームの中に存在する場合
ゼロから創造する必要がない。

他の人はどういうふうに、このシチュエーションをゲームで表現したのかというものが、知っているのと知っていないのとでは効率が大きく変わってくる。
パクリ先を確保するためにゲームするのかではなく、既に有名所がこうやっているんだったら、じゃあちょっと視点を変えてみるかというオリジナリティの追求にもなる。

多く知っていればそれだけパターンやバリエーションを他の人より持っているというわけで、やはり色々な局面で有利になる。

☆ゲームではなくシミュレーターであるという考え
ゲームバランスを組んだりシステムを組んだりするとき、常に現実世界を意識してシミュレートしているという考えに基づいていると、破綻することが極端に減ると思っている

空想の世界を舞台にしたRPGでもこの考えは有効だとかんがえる。
バランス付けるとき、ゲーム開始直後、主人公は勇者という設定でそこそこいい武器持たせて攻撃するんだから基本ダメージは10前後は欲しい、固い敵だけ一桁で。
ザコは基本的に2発叩いたら死ぬ、1発叩いたら倒れる場合想定レベルを超えている
みたいな細かいところからはじめて、とにかく数字の基本値とか価値を作っていくと深みが出てくる

女の子の華奢な魔法使いが魔法唱えるより杖で殴ってるほうが強いとかだと誰もが興ざめすると思う。
とてつもなく細かいことなんだけど、RPGツクールでRPGを作るときでも、そういう細かいところを異様に気にすることで、なんとなく薄っぺらいとかつまんないという感じがなくなると思う

これは駄目だなと感じさせてしまうのは、プレイヤーが無意識にでも現実世界の価値と照らしあわせて、なんかおかしいぞこれって思ってしまうところにあると思う。
せっかくのボス戦なのに必勝パターンがあって、それやってるだけで終わっちゃうとか、強そうな敵が一撃で倒れる

こんな世界に没頭しろと言われても無理だとなる
まあゲームの作り方というと、リアルすぎても良くない部分があって、努力が報われるべきであるし
なんというか、プレイヤーの期待にもある程度応えなければならないため、ダンジョンの行き止まりには必ず宝箱があっていいものが入ってなければ時間の無駄にさせるとか、色々あるから一概に言える話ではないがそういう面倒くさいところはここで省く。

最後になる
ひたすら現実主義、シミュレーターという単語を口を酸っぱくして書き続けてきた。
それがここで生きてくる。

というのも、ゲームを作るとき、予め今の時代、ゲームのジャンルやルールのひな形が出来上がっていて、
多くの開発者はそれに習った作り方をする。

なぜならそれが合理的だから

どこに力を注いだり目が行ったりするのかというと、具体的に効果のありそうな部分に行きがちである。

だけど一旦、ゲームとして当たり前だからという要素を現実世界と照らしあわせて考える。
このゲームではここを現実的にちょっと変えようという風に。

倒されるだけだったモンスターが起き上がって仲間になるというのも、こういう発想から生まれたものと思われる。

お金にしても、ゲーム上のお金は、ゲームを進行させるためのアイテム、装備品を買うだけの価値しか無い
現実的に考えると、金の価値があまりになさすぎる
だから、ゲーム後半に余ってしまうことが多い(倹約家の人は特に余る)
それ以外に、戦闘や宝箱からアイテムなどゲーム資産が手に入るため、相対的にかなりモノだらけになりがち

単純に物価をあげるだけで解決できるが、それだけでは芸がない。
ただゲームバランスを厳しくしただけである。

金の使い道を増やすことで金の価値が大きく上がる
多くのゲームだとギャンブルのミニゲームを入れることが多いが、金で解決できるが大金が必要なクエストとかありがちだが
金の使い先がありすぎてたりねーって状態になれば、なかなか現実的で面白いと思っている。

個人的には(RPGの話ばかりで悪いと思っているが)、一度行ったことのある場所へワープできる魔法、アイテム
便利だがおかしいと思っている
桃太郎伝説でもそういう魔法があるが、瞬間移動じゃなくて目的地に高速移動する設定になっている。
あれもワープなんて簡単にできることじゃないっていう思いが込められているのかと今更ながら思う。

もう一つは、補助魔法をかけたら基本能力値が上がったり下がったりするアレ
戦略的には面白いからこれだけ多様されているんだろうけど、現実的に考えるとおかしいよなと
魔法かけるだけで筋力がゲームによっては2倍以上に上がったり、上限のない昔のゲームだとカンストまであげることが出来る
その逆に、弱らせることが出来るというのも、なんだか簡単にユニットの能力を否定しているようで個人的には好きではない

と言うふうに、ゲームの面白さのメカニズムのキーポイントとして優秀なシミュレーターかどうかというのが普遍的な理由としてあるのではないかというように感じている。

自分が好きだとか面白いと思っているゲームを振り返った時、どこかリアリティの強い部分が必ずあったりしないだろうか?

そんな話。

素人のゲームデザイン考(2):壁際のカメラワークの問題

沢山ゲームレビューしてきたというが、どういったところを見ていたのかというのを、最近文章化出来る目処が付いた。
それをシリーズ化して、いくつか記していきたいと思う。

なお、断っておきたいのは、筆者は、ゲーム技術者でもなければ、ゲーム開発に携わったこともなく、これといった勉強もしたことがないズブの素人だ。
ただ異常な数のゲームを体験してきて、その上での考察であることを断っておきたい。





前回、1回で収まるように、ムリをしてでもカメラワークの考察を書いたのだが、このテの話題で壁際のカメラワークについてよく議論されているので、独立して語ることにした。

というのも、色々他の考察を読んでいくと、自分から見てあまりにトホホな内容になっていることが多いためだ。





なぜ、壁際のカメラワークといった問題が出てくるのか

前回記述したように、立体処理が可能となったことで、ゲームで使われる舞台に凹凸(おうとつ)が付けられるようになった
それまでは、どこまで行っても、方眼紙の世界だったから、壁という障害物が存在しなかった。

つまり、視点を遮るもの(=カメラの挙動を邪魔する存在)が、平面処理のゲームでは、絶対に存在し得なかった

しかし、ポリゴンを使った、三次元処理になると、x軸(横)、y軸(縦)、そして三次元を成立させるz軸(奥行き。高さにおける上下方向)の概念が登場する。

z軸の概念は、3次元空間を表現するための必須要素であり、カメラワークとz軸は、お互いがぶつかり合い、せめぎ合い、どのように処理するべきか、という好敵手のような存在となっているのだ。





コナミの持ってるらしい特許「カメラワークの透過処理」はそれほど大きな効力を持たない

これは、ゲーム業界の関係者じゃない視点による考えなので、大いに的外れな点も多くあると思うが、筆者の文章の書き方は、体感を重視しているので、それを前書きしたうえで書く。

おそらく、一番気になっているだろう話題を、先に潰しておこうと思う。

コナミが出願している特許の原文を一応読んでみた。
最初に断っておくが、読む価値が無いので、それっぽい特許を取っているという認識を持つ程度で構わない。

それではなぜ、大きな効力を持たないのかというと、理由を幾つか。

コナミが特許侵害で仮に裁判沙汰を起こしたとする。
民事裁判というのは、御存知の通り、結構ゴネることが出来る世界なので。

例えば、壁を無視してカメラワークを取ったゲームがあって、手前の壁やオブジェを消して表示しているとする。

それで訴えられた場合、これを作った開発者も、結構な言い訳を出来る余地があるから。

・このゲームは、壁がある設定ではあるが、ゲーム上では表示してない
・半透明ではなく完全に透明、消失処理しているから侵害してない(原文通りだと、半透明と記載されているが、半透明と透明だと意味合いが異なる)

まだ色々、バカバカしい言い逃れが思いつくのだが、書いててあまりにバカバカしくなってきたため、このへんにしておく。






壁際のカメラワーク問題を解決しているゲーム

やはり過去発売されてきたゲームを例に出して解説したほうが説得力があり早いと思われる。

・スーパーマリオ64(任天堂/N64)
カメラ自体に当たり判定をつけているように見える処理をする。
一方で、壁を貫通して視点移動出来る場面も多くあり、統一性がない。
どちらかと言うと、衝突判定をつけているのではなく、場所ごとに、視点移動の制限をもうけているのだと思われる。
プレイヤーとの間に、壁が挟まった場合、それらは透明処理される。
また、逆に、透明処理の解決が難しい箇所の場合は、強引にプレイヤーを映そうとカメラが勝手に動く。
これらは、3Dゲーム黎明期の作品だったため、考えぬかれたというよりも、場当たり的な対応をしていただけだと思われる。
それから、マリオ64では、もう一つ取られた解決方法として、四方の壁を取っ払ってしまったり、障害物を減らすマップデザインを意識しているエリアが結構多くある。

・ゼルダの伝説 時のオカリナ/ムジュラの仮面(任天堂/N64)
そもそも視点操作を実質的に禁止した。カメラ操作はZボタンでプレイヤーの背後に回りこむ、いわゆるデフォルト視点にリセットする形(あとは主観視点での見回しのみ)。
この思い切りには当時驚いたものだった。ゼルダ64は当時、マリオ64の進化後継的立ち位置だったため、視点制御を不便にしてしまったことに、若かりし頃の自分は理解不能だった。

なぜこのようにしたのかというと、理由は1つしか考えられなくて、壁を貫通して透明処理させてしまうととんでもなく間抜けな絵面になり冷めてしまうからだ。
マリオ64では、カメラが壁を貫通できる場面が数多くあるが、おそらく開発者の想定外で、出来る限りそういう視点にさせたくなかったが、壁が邪魔になることによる不快感を同時に出したくなくて、やむなく残していたのだと思う。

このへんの解決策が、はっきりと完成されないまま、ゼルダ64は開発されていったため、視点制御をプレイヤーから実質的に取り上げることで解決を図ったのだと思われる。

ちなみに、ゼルダ64では、Z注目(ロックオン)中のみ、カメラの衝突判定が無視され、障害物の透過処理も行われる。
これについては、この状態なら、透過処理しても、やむを得ないだろう、敵自体はこちらでルーチン管理できるし、という判断だったと思われる。
確か水の神殿だったか、どこだかで、間抜けな絵面になってしまうところはあったが、開発者的には許容範囲というか、しょうがないと諦めたんだろう。

続編GC風のタクトでは、ハードスペックが上がったこともあり、カメラが壁を超えてしまうことは絶対になくなった(はず)。

・ドラゴンクエスト4/5/6/7(スクウェア・エニックス/DS/3DS/PS2)
アルテピアッツァがリメイクしたドラクエ全般。
360度マップを回せるが、屋内に限り、手前の壁が透明処理される。
屋外では、マップを回転できないか、オブジェと衝突判定があり、ぶつからないように動く。
屋内に限り、そのような処理を許しているのは、背景が黒バックで、絵的に違和感を与えることがないからという判断だと思われる。
(PS1のDQ7/4は、まだ手前の壁の透明化処理されておらず、どの視点にしても物陰が出来てストレスを感じた不満に対しての答え)

ちなみにこれはドラクエの専売特許ではなく、3Dゲーム黎明期に発売されたポリゴンフィールドRPG(S.RPG)では、初期から採用されている。

例を出すと(発売順に記載)
・ファイナルファンタジータクティクス(スクウェア/PS1)
→屋内マップで手前に壁が来た場合、透明になったが、それでも一部マップで物陰が解消されない部分があった
・グランディア/2/エクストリーム(ゲームアーツ/SS/PS1/DC/PS2)
・ゼノギアス(スクウェア/PS1)
など





壁の透過処理とはいうけれど

透過処理と言うより、昔のゲームは、特別何かしてたというわけではないと思う。
というのも、PS1/SS/N64時代のフルポリゴンゲームだと、スペック的に壁のポリゴンは1枚が当たり前。

で、これにテクスチャを貼り付けるわけだが、裏側から見たテクスチャーまでわざわざ計算してない(というかデータを持ってない)。
だからまあ、透明にせざるを得ないというか勝手に透明になっていたとまではいわないが、なし崩し的にそういう設計になっていたと言うのが、事情だろう。





なぜわざわざカメラに当たり判定を付けるのか

現状、ゲームプレイヤーがストレスに感じてしまっている壁際のカメラワークについて
その最たる原因が、カメラに当たり判定を付けてしまっているせいというのは、言い逃れようのない事実だ。

いくつかカメラ処理について例を挙げてきたが、最後にゲームとカメラワークの歴史について軽く触れて締めていきたい。

筆者はマリオ64を大好きで沢山プレイしたが、同時に神格化したくないので、ここらで穿った見方を披露したい。

マリオ64の素晴らしさとか、凄さとかはもう、さんざん他で語り尽くされているので、ここではそういう話じゃなくて、マリオ64におけるカメラワークについての話をする。

ジュゲムカメラがいる世界観が、宮本茂は天才だ!など囃(はや)し立てられていて、このジュゲムカメラがいかに優れているかだのなんだの書かれていることが多いが、はっきりいって自分から見れば茶番の一言でしか無い

これって要するに、逆説的な見方をすればカメラワークのプログラムを擬人化出来るほど手間暇かけましたよ!!というエゴの一つである。
ジュゲムカメラ自体の存在が優れているのなら、続編の「スーパーマリオサンシャイン」でも登場させればいいのに、カメラワークに関しては、カメラのアイコンが出てくるだけ。
それ以降、「スーパーマリオギャラクシー」でも、やっぱりカメラのアイコンが表示されるだけにとどまっている。

ではなぜわざわざゲーム冒頭にジュゲムカメラを登場させたのか?
なにも筆者も、開発者の苦労を見せつけるためだけに、登場させたなどと思っていない。

パソコンやスマホが普及してきた今なら理解してもらえると思うが、カメラのルーチンを作成するとなると、それだけプログラムを走らせるためのリソースが必要になる。

通常のゲームプログラムを走らせると同時に、カメラワークのタスクも計算しなければならない。
当然ながら、3Dゲーム黎明期のコンシューマ機、PS1/SS/N64には、そんな余裕なんて無い。

だから、カメラ操作なんてのは、プレイヤーに投げっぱなしのほうが楽だ。
いかなる状態でも、常に被写体(プレイヤー)と一定距離を取る、L1,R1で一定角度回転。
この仕様が、最もマシンに負担がかからず、カメラ操作できる作りであり、PS1/SS用のゲームはたいていはこの仕様で作られてる。

このカメラルーチンには、カメラの当たり判定ももちろん入っている。

何度も書くが、PS1/SSは、完全な3Dゲームを動かすだけでも結構大変で、ポリゴン処理出来るハードと言っても、
現実的には、2.5D程度のゲーム(例えるなら飛び出す絵本程度の簡単なもの)を作るのが手一杯だった。

そこをなんとか、当時の開発者は、色々工夫して、箱庭風味のアクションゲームやRPGを作っていたというのが現実。
だから、カプコンのバイオハザードとか、スクウェアのファイナルファンタジーなんてのは、プリレンダの1枚フィールドで、2.5Dという収まりのいい仕様で作られ、結果的に大成功を収めている

PS1/SSで、そうやって3Dゲームを作成するのに四苦八苦している中、1996年6月23日マリオ64とN64は発売され世界に衝撃を与えた。

このとき、多くの3Dゲームは、まだ、カメラワークについては、手を付けられる余裕も技術もなく、手付かずの状態だった。

マリオ64は、N64のマシンパワーを見せつける必要性もあり、その手段の一つとして、カメラに当たり判定を付けること、カメラ自体に意思を持っているように見せることでリアリティを演出することにした。
種を明かせば、ジュゲムカメラは発明でも何でもなく、N64のパワーを誇示するために生まれたキャラクターだったというわけだ。

このメカニズムから、どうしてカメラにも当たり判定を付けることが常識になったのかを理解してもらいたい。

プレイヤーは良くこのクソカメラ!などと憤慨することが多い。
しかし、カメラに当たり判定を付ける演出によって、自然とそのモニタの中の3D世界と一体化させようとしている。

カメラ操作できるゲームで、自然と障害物を避けて動くカメラについて、ストレスを感じることはあっても、違和感を覚える人はいるだろうか。

黎明期の3Dゲームは、この当たり前のように行われている処理すらされていないゲームがほとんどだった。
カメラが3D世界の壁を障害物として認識しないで、貫通して動き、被写体(プレイヤー)の邪魔になるものは勝手に排除されて映される。

これほど興冷めされるカメラワークはない。

わざわざカメラが壁を認識して、視点を勝手に近づける。

これをしないと、さんざん書いてきたが、間抜けな絵面になる

間抜けな絵面というのはどういう絵面かというと、地層の断面図を見ているかのような、現実には絶対にありえない構図が画面上に展開される。

それは、どちらかと言うと、現実に存在するもので例えると、舞台を観客席から見ているような状態に近い。

古いたとえで申し訳ないが、
ドリフのコントで、外、玄関、家の中というセットを想像して欲しいが、こんな断面図みたいな構図、舞台だから許されるわけであって、現実では絶対に見られない。





だから、というわけではないが、結果的にカメラに当たり判定を付けることが合理的な処理であると認識されるようになっていった。

で、前回書いた、カメラ操作できるゲームは、実は作り手には制約が多く、思い通りの地形を作れないし、アクションゲームにも向いてないと書いていったのは、このような認識を持っているからだ。

思い通りの地形を作れない理由は、このクソカメラ!ってなってしまうので、その原因を取り除いた結果が、前回書いた

・画一的で、柱や本棚みたいな障害物がなく、地面は平坦で、できれば空中には何もなく、巨大な空間が広がる大部屋
・出来る限り、ひと目で地形を認識できる単調な構造
・理想的なのは、四方に壁のない屋外。

アクションゲームに向いてないのは、意外と地形、敵などの距離感がつかめないから。

・周囲の敵の状況やオブジェなどの距離感をつかみやすくするためには、被写体(プレイヤー)から引いた状態が望ましい
・しかし、カメラと被写体を遠ざけすぎると、間に障害物が入る確率が大幅に上昇する
・現状、俯瞰カメラのゲームは、2Dアクションで極端に視界を狭めた状態で遊ばされている不便なゲームになりがちである(加えて、その視界を自分で操作しなければならない負担を強いられる)

この問題を解決するためには、バイオハザード4がやったように

・カメラと被写体(プレイヤー)の距離を縮めてぴったり貼り付けてしまえば良い

しかし、あまりに近づけると、アクションゲームとして不向きになる
結果、飛び道具で戦い合う、FPSライクなゲーム以外では扱いにくい、使用用途の低い代物になる。


補足すると、FPS(一人称視点)では、視点の問題は全く発生しない。
なぜならカメラとプレイヤーが完全に同一化しているため、カメラにとっての障害物とプレイヤーにとっての障害物が全く同じ状態になっているからだ。





通して読みなおしてみると、開発者の都合ばかり考慮されているような印象になった。

そうではなくて、一つ言いたいのは、たったひとつだけ、プレイヤーへの利点を述べる

・カメラに当たり判定があり、壁際で勝手にカメラが近寄ってくる利点は、後ろに壁(障害物)があることを教えている

カメラを自由に操作できるのだから、要は、開発者としては、180度反転して欲しいって言う意味合いになる。
カメラ操作をフリーにしているのだから、逃げ道としては当然それが最も妥当という話になる。

ここで、やっぱりカメラを壁にめり込ませてでも快適性を追求すべきってのは、カメラワークの歴史の観点から見ると、退化しているようにしか思えない。

そうなると、壁際での戦闘を避ける地形や敵配置などが求められてきて、カメラ操作できるゲームというのは、作るのが本当に大変で難しいものになっている。





最後に余談

モンハン持ちっていう言葉が一時期流行っていた。
PSPにスティックが2本ないから、十字キーでカメラ操作が割り振られていたためプレイヤーの間で作られた戦術だ。

しかし、マリオ64のCスティックの操作性をわかっていたら、もっとPSPで快適なカメラ操作を実現できたと思うのだが、この辺が体系化されてないような気がして外様の身分からすれば残念でならない。

素人のゲームデザイン考(1):カメラワークについて

沢山ゲームレビューしてきたというが、どういったところを見ていたのかというのを、最近文章化出来る目処が付いた。
それをシリーズ化して、いくつか記していきたいと思う。

なお、断っておきたいのは、筆者は、ゲーム技術者でもなければ、ゲーム開発に携わったこともなく、これといった勉強もしたことがないズブの素人だ。
ただ異常な数のゲームを体験してきて、その上での考察であることを断っておきたい。





今回のお題はカメラワーク
1994年末、PS1/SS/N64以降、ゲームにおいてポリゴンによる3次元的表現が当たり前になったことで、ゲーム作りにおいて、カメラワークという、表現技法が登場した。

平面的処理が主体だった頃は、そもそもカメラワークという概念が介在する余地がなかった。
ゲームを動作する、マシンパワーが、立体的処理出来るほどのちからを持っていなかったため、どこまで行っても2Dの平面処理の壁をぶち破ることが出来なかったためだ。

いくらゲーム側で、三次元的な演出や、立体感を出していても、それは擬似的なものでしかない。
つまり、昔のゲーム開発者というのは、制約が厳しい中いかに工夫して映像を表現するかということに異常なほどのリソースを割いていた。

具体的に、昔のゲームが、どのような形で表現されていたのかということを、わかりやすく説明する。

方眼紙の上に、コマ(プレイヤー、敵、障害物)を置いて、その上でコマ同士をぶつけあう程度のものだった。
プレイヤーは、それを真横(サイドビュー)からみたり、真上(トップビュー)から見下ろすといった、ゲームが成立する視点から見てゲームをプレイする。

真横から見てる、真上から見てるというのも、それは、そういう設定にされたゲームというだけであって、方眼紙を一定角度(真上)から見ているという仕組み自体は一緒である


これは三次元処理が主流となったゲームでも、原理的には変わらないが、ポイントなるのは、三次元処理のゲームでは、コマ(プレイヤー)の一人の視点からゲームを遊ばせることが出来たり、視点を自由に動かすことが出来る。
しかし、昔のゲーム機は、一度決められた視点を変えることが出来ず固定するしかなかったため、真横から見る、真上から見るような、いわゆる決められた神の視点と呼ばれるところからしかゲームを遊ばせることが出来なかった。

ざっくり過ぎるだろ・・・と思われるかもしれないが、専門用語など一切使わず、誰にでもわかるような説明の仕方となると、これぐらいシンプルにものになる。

まあ、ゲーム機によっては、

・方眼紙を3枚まで重ねて、それぞれを自由に動かすことが出来る(スーパーファミコン)
・方眼紙のうち1枚を好きな角度から見せることが出来る(スーパーファミコンの回転・拡大・縮小処理の応用機能)

こんな素敵機能を備えていたりするが、基本的に平面処理のものを擬似的に立体化するための補助機能でしかない。

方眼紙を好きな角度から見せることが出来るというのは、有名所で具体例を出すと、

・F-ZERO(任天堂)、スーパーマリオカート(任天堂)
・ファイナルファンタジーシリーズの飛空艇(スクウェア)
・パイロットウイングス(任天堂)

このへんになる。

これらの例を想像すると、実質的にスーパーファミコンの時点で、3次元処理が可能になったのでは?という話になるが、それは違う。

方眼紙を制限なく好きな角度から見れることで、モニタの中に3D空間が広がっているかの錯覚を感じるほどの表現力を実現しているのは確かだが、ここで一旦冷静になってほしい。

しょせん色んな角度から方眼紙を見せれるようになったところで、それはどこまで行っても、紙ッペラ一枚を、ぐるぐる回したり斜めにしてる程度で、厳密に3次元空間が広がっているとは言いがたい。

1枚の書類を、遠ざけたり近づけたり、ぐるぐる回したりしているだけであって、原理的にはこの上にコマを置いて、ゲームをやりとりしているだけで、やっぱり二次元の平面処理なのである。

スーパーファミコン辺りになってくると、これができるようになった、あれができるようになったという話が出来て、
それ以前の、PCエンジンは、メガドライブは、PC88は、ファミコンは、こういう制限があって、とか
知識自慢や懐古に浸って、色々喋りたくなるが、カメラワークの話から大きく逸脱してしまうためにこのへんで締める。





それでは、ポリゴンによる三次元処理が主流になって、ゲームの遊ばせ方がどのように変わったかということを述べる。

前段でも軽く書いたが、全てが平面処理で構成されていた(せざるを得なかった)時代のゲーム機と、大きく変わった点がある。

・固定された神の視点の呪縛から解き放たれ、あらゆる角度からゲームの世界を見せることが出来るようになったこと

先ほど、平面処理のゲームの仕組みについて、方眼紙に例えた。
これが、ポリゴンを用いた三次元処理になると、事情が大きく異なってくる。

世界に凹凸(おうとつ)を付けることができるようになったことで、方眼紙で例えることができなくなる。
例えるなら、ミニチュア、ペーパークラフトが舞台となって、これをあらゆる視点、角度から見て、ゲームを遊ばせるという形へと進化した。

ここで、必要となるのがカメラマンの存在だ。

なぜなら、これまではある一定の固定された視点があったために、そんなものは必要なかった。

もっと厳密に書くと、ゲーム界からすれば、その概念自体不要だったから、必要なかったというよりも、意識する必然性が出た、という方が適切である。


だからゲームは進化したんだよ!テクノロジーの進化って凄いね!終わり

ゲームで飯食ってる著名人なら、この程度で原稿料が出て凄い面白いタメになったとかチヤホヤされてWin-Winなのだろうが、この話はここで綺麗には終わらない。

ここからが本題となる。

このカメラワークの概念について、ゲームをどのように見せていくべきかという方法論が、今回のお題のメインとなる。

カメラワークについては、大きく2種類の方法論がある。

・開発者が予め設定した視点で見せていくタイプ。
・プレイヤーを中心として、常に一定距離を保ち、プレイヤー自身がそのカメラを必要に応じて操作するタイプ。

RPGの移動パートでは後者、戦闘パートでは前者というように、厳密には合わせ技で構成されているものがほとんどだったりするが、基本的に、ゲーム内で極端に比重の大きい方を“採用している”こととしている場合が多い。

それぞれに一長一短と、性格がある。このエントリでは、そこについて切り込んでいきたい。

あと、前置きとして、ややこしくなるので、いわゆる箱庭系ゲームというか、3Dフィールドを徘徊するタイプのゲームを主軸として書く。
ポリゴンだけど、横スクロールアクションとか、3D格闘ゲームとか、そういうのを含めていくと、ごっちゃになって説明が面倒になるので、そぎ落として書く。




開発者が予め設定した視点で見せていくタイプ

プレイヤーの位置によって、開発者が適切だと思った、或いは、見せたいカメラ割りが自動で行われる

メリットとしては、

・カメラマン(視点操作)の制御プログラムを作る必要がない
・コントローラーに、カメラ操作の割り振りがいらないので、そのぶんボタンの数を減らしたり、空いた部分を別の操作に使うことが出来る
・陳腐なマップデザイン(極端に言えば単なる一本道のマップ)でも、カメラの演出一つで、見栄えの良いものに魅せることが出来る
・都合の悪い部分、見えない部分は作らなくていい、もしくは、見ることのない部分、裏データをごまかしてメモリ削減出来る(ゲーム機の性能が上がった現在ではほとんど考慮されないテクニック)
・カメラ操作がないので、プレイヤーをその分ゲームに没頭させることが出来る
・総括すると、全般的に開発者に都合の良いカメラワークを設定できる

一見、開発者に都合が良いシステムに感じるが、デメリットもかなり多く存在している。

・当然のことながら3Dフィールドのすべての部分に、開発者がカメラワークを設定しなければならない
・見やすい遊びやすいだけでなく、カメラのカット割りの演出にセンスが求められる(3Dらしさや立体感を出す必要がある)
・方角を見失うような突飛な視点になりがちである
・視点の切り替わりのタイミングや決まり事に対して慎重になり、配慮しなければならない
・行ったり来たりするゲームの場合、ビハインドビュー視点の仕様だと“行き”は奥へ向かっていたが、“戻り”では、カメラに向かって手前に走り続けるという、滑稽な状態に陥る場合がある(この場合、逆戻りしても激しい違和感を与えないカメラワークにする必要がある)
・開発者に都合が良いといっても、マップの構造が意外と把握しづらいなど(特に方角が迷いやすい)、自由自在にやれる部分が思っていたよりは少ない。
・プレイヤーを映す視点の角度が突然切り替わると、プレイヤーの進行方向と入力方向に誤差が出る問題

これは、奥へ進むために、スティックで上を入力していたのに、曲がり角で突然、カメラが切り替わって、
入力方向がおかしくなってしまう問題。

図解したら一発で分かる話で、お絵かきツールで書いてみたのだが、惨憺たる有様だったために困っている。

この問題を回避するためにバイオハザードでは操作方法にいわゆるラジコン形式を採用していたが、結局直感的なインターフェイスはどっちかという話になっていくと、スティック操作へと収束していった。





プレイヤーを中心として、常に一定距離を保ち、プレイヤー自身がそのカメラを必要に応じて操作するタイプ

今現在、主流となっているシステム。
ハード性能が上がった現在だから主流というわけではなくて、3Dゲーム黎明期から、3Dにするんだからこっちのほうが良いだろうと、実は意外と、こっちを採用しているゲームのほうが今も昔も多い。

左スティックで移動、右スティックでカメラ操作
と言う、操作方法が確立されているが、個人的にはこれが最適解か?というと、まだまだ操作形態については模索する余地があると思っている。

3Dゲーム黎明期の傑作、N64「スーパーマリオ64」は、それなりに良いカメラ割りがされていながら、Cボタンの左右で90度ごとにカメラ回転できた。

「スーパーマリオ64」の場合は、本体ロンチで出す以上、それなりにカッコの付く、絵作りもしなければならなかったから、
カメラ操作もできるけど、ある程度いい位置に勝手にカメラも動きますよという風にせざるを得なかったんだと思う。

たぶん本当に最初は、ここまで勝手にカメラが動くんじゃなくて、自分で動かすような感じだったように思う。
それだとあまりに味気ないから、色々補正をかけていった結果、あんな感じになったんだと思っている


今はカメラ操作できるゲームは、プレイヤーに全てを委ねているが、マリオ64みたいに、合わせ技であがいてみるゲームがもっと出てもいいと思っている。

このシステムは、プレイヤー本意なシステムだからか、メリットも多いが、デメリットもたくさんある。

メリットについて。
・プレイヤーがカメラ操作するため、ゲーム全体に統一感が出る
・また、プレイヤー視点で操作するため、あらゆる場面で、視点に関しての理不尽なストレスが軽減される
(プレイヤーの目線で見るので、画面上のプレイヤーと見えないものが殆どの場合一致していたり、そういう面で一体感がある)
・フィールドをプレイヤーの好きな場所から、眺め回すことが出来る、自由度が高い。制約がない(ように見える)

メリットといえば、実はこれぐらい。
とはいえ、3Dゲームでは、これだけのメリットが実は非常に大きくて、これを成立させるために乗り越えなければならないデメリットがかなりの負担となっている。

以下、デメリット
・ストレスのないカメラマン(視点操作)の制御プログラムを作らなければならない
・コントローラーにカメラ操作の機能を入れなければならないため、その分ボタンが必要になる。理想的なのはアナログスティックが2本というハードルの高さになる。
・マップデザインやモデリングをごまかせない。細部まで、大写しにして見られるので、手抜きできない
・どうやってもプレイアブルのカメラワークが味気なくなってしまう(常にプレイヤー中心の視点になるため)
・カメラ制御させるために、ストレスを与えないマップデザインが要求される

理想的なのは、何もない(柱すらもなく平坦な地面で構成された)大部屋、壁のない巨大な空間が広がる屋外。
なぜなら、壁や障害物に当たり判定をつけて、カメラとオブジェクトが重なり合わないように作られるため。

3Dゲーム黎明期は、カメラに衝突判定を付けないゲームが多かった。
衝突判定を付けず、カメラが壁や障害物を無視して距離をとった場合、プレイヤーはそれらに隠れてしまうことになる。
だから、プレイヤー手前のオブジェを消して表示していたゲームばかりだった。
ところが、この表示の仕方は間抜け極まりなく、カメラにも当たり判定を付けて表示するゲームが主流となった。

その文法で解釈すると、一番最初に書いた地形が理想的となる。
良くこのへんの壁際のカメラワークの悪さはコナミが特許をとってるせいだ!等と言われているが、
素直に透過処理すると、リアルなHDゲームも、あっという間に間抜けな絵面になって世界観が崩壊してしまうからである。

・意外とアクションゲームには不向き

上記の仕様のせいで、実は意外と敵や周囲の地形との距離感が掴みづらく、加えて、カメラ操作もしなければならないため、ACTゲームとの相性は良くない。
証拠として、距離感を取りやすくするためにロックオンシステムが苦肉の策として搭載されている。

まず、壁際での戦闘を避けるようなマップデザインが求められるし、アクションゲームてきに、平坦な地面で、大部屋ばかりで、巨大な空間のマップって言うのは、ゲーム的につまらないものになってしまう。
100%理想的なマップにしなくても、ゲームにはなるのだが、そのぶんプレイヤーへのストレスが蓄積されるため、そのさじかげんを取る必要がある。

これらの問題をクリアしているジャンルのゲームというと、ゲーム的に動的要素が少ない、RPG、MMORPGとの相性が良い。

ちなみにバイオハザード4などTPSタイプのゲームは、これら問題点を、ほぼプレイヤーとカメラ位置をくっつけた状態にすることで解決している。
だけど、性質的には殆どFPS化しているために、銃撃戦メインのゲーム以外では、あまり使える場面が少ない(使えてない)







後半はゲーマーじゃないとわかりづらい話になっているが、それでも、なるべくわかりやすく書いたつもりだがどうだろうか。

通して読んでみると、ゲームがポリゴン化したことで、弊害を多く抱えているという印象を持たれたかもしれない。

個人的にも、そう感じていることが多いが、それでも臨場感や迫力は、ポリゴンという技術を得たことで、圧倒的に表現力が上がったと感じている。
が、同時にゲーム開発で考えなければならないことなどが増えて、ハードルが格段に上がってしまったように思う。

素人の立場からの分析だから、どうやってもプロには劣ってしまうのだが、色んなゲームをやって、見ているところがどこかというのがこれらのお話から漠然と理解してもらえると良いと思う。

当然ながら、自分の中のすべてを文章化できているわけではないので、書き漏らしている部分も多くあると思っている。

評判が良いか、モチベが続けば、このシリーズは続きます。
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